昨年、松本人志と組んだAmazonプライム・ビデオの『ドキュメンタル』で、約11年ぶりに総合演出を務めた小松純也さん。この4月26日に配信が開始されたシーズン2でも演出を手がけたが、松本人志との縁は90年代を代表するバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』に遡る。松本人志の天才性とは一体何か、ダウンタウンが起こしたお笑いの革命とは何だったのか。伝説のテレビ演出家に話を聞いた。
ダウンタウンの「真面目さ」が『ごっつええ感じ』の現場を作った
――小松さんとダウンタウンが出会った『夢で逢えたら』の後、『ごっつええ感じ』が始まるわけですが、最初に受けたダウンタウンの「厳しいけど、優しかった」という印象は変わりましたか?
小松 『夢で逢えたら』が終わって、『ごっつええ感じ』になってというプロセスの中でいうと、彼らが世間に対して戦いを仕掛けていく状況の間近にいた実感は大きいです。松本さんも浜田(雅功)さんも、捉えようによっては「わがまま」なんですけど、僕から見ると真面目すぎ。「バカ真面目」な取り組み方をしてた。仕事上はすごい大変だろうって外からは見えたと思うし、ある意味現場としては殺伐としているところもありました。でも、僕はあの人たちが本当に真面目にやろうとしているふうにしか見えなかったですね。
――それは具体的にはどういうところに表れるんですか?
小松 例えば、打ち合わせでイメージを伝えて、そのとおりになってないと帰っちゃうみたいな。わりとそういうことがありましたね。でもそれは、「俺がこれだけ必死で考えてるのに、なんでお前らそれに付き合ってくれないんだ」っていうことだったと思います。後から知ったんですけど、松本さんは、毎週収録の時にじんましんが出てたらしいです。それで、現場に来るのも遅れちゃう。それぐらいプレッシャーがかかって、ストレスを抱えながら真剣にやっていた。現場では浜田さんがそこをうまく「まあまあ」って言いながらやっていたんです。
収録後に来週の収録の企画を朝まで話して決めるんです。そうしているうちに時間が押してくる。そうなってくると大道具小道具、美術スタッフは時間と作業との戦いだから限界がきて、なかなかイメージどおりにはいかない。テレビなんて時間と完成度の妥協点を探りながらやるものですけど、ダウンタウンの理想に、特に松本さんの思い描くレベルにどれだけ近付けるかの戦いを、われわれ制作、美術、技術スタッフがひたすらやりました。
ダウンタウンのネクストスイッチが入った瞬間
――『ごっつええ感じ』時代に、ダウンタウンの凄みを感じたエピソードはありますか?
小松 いっぱいありますね。他でもしゃべったことがあるんですけど、「トカゲのおっさん」の1回目の時に、最初は7分ぐらいのコント台本を作って用意してたんです。でも、その時の『ごっつええ感じ』がアトランタオリンピックのマラソンの中継の裏だったんですね。最初、立ってドライリハーサルをやって、「じゃあ次、カメリハ行きましょうか」っていう感じで言ったら、松本さんが「ちょっと相談したいねんけど」って言いだして。「1つのオンエアを1本のコントでやりたい」と。マラソンは日本人が金メダルを取りそうみたいな時だったから、どうせ視聴率は取れないのは分かってる。だから、そういうことをやってみないかって言い出したんです。台本はダウンタウンのコントでは多い、基本形がある会話のループでした。出口のない状況でそれが回っていきながら、だんだん拡大していくという構造。だから果てしなくコントを続けることは確かにできるんです。「じゃあそうしましょう」と、そこから合わせ始めて。
普段、松本さんと浜田さんは現場でそんなに話をしないんです。ネタを合わせるのに浜田さんも付き合ったけど、松本さんがいろいろ考えながら、「こうやってな、こうやってな……」と言うのを浜田さんは何となく聞いている感じ。この時もそうだったんですが、さすがに合わせが20分ぐらい続いたところで、ちょっと煮詰まって止まっちゃったんです。松本さんでさえ「どうしよう」みたいな。そこで浜田さんが動いたんです。急に仕切り出してくれて、「松本がこう言うやんか。そうしたら、板尾(創路)がこう言い出して俺がこう言うから」と、バーッと流れを作ってみせて。また止まると、「じゃあ、さっきのあれ、こっちにもういっぺん持ってきてこうやってやろうや」と。松本さんの主導からもう一段階ギアが入ったような、ダウンタウンのネクストスイッチが入った瞬間でしたね、あれは。こうしてできたのが果てしなく続く「トカゲのおっさん」。
――いい話ですねー。そうしたコントが生まれる現場に立ち会い続けた小松さんが考える「松本人志の天才性」とは何でしょうか?
小松 作り手としても演じ手としてもすさまじいっていうことじゃないですか。結局、演じることに長けている人はいる。お笑いの作り手としても、部分部分は優れてる人はいると思うんです。けれど、あの人の場合はそれが全部同居している。発想の次元でいうと、それまでのコントと彼ら以降で一番変わっていった大きなポイントというのは、「面白い人がいてその人が面白い」ということではなくなった。「関係性の笑い」をメジャーにしていったのは松本さんですね。