Q 「楽しい」だけを基準に生きていたら、いつか不幸な目に遭うのでしょうか。

「楽しいかどうか」だけを基準に生きていたらいつか大変な目に遭うような気がしてなりません。苦労は買ってでもするべきですか。これまでの人生、楽しいか楽しくないかを判断基準に様々な選択をしてきました。「楽しい>楽しくない」の時は多少大変なことも頑張る、しかし「楽しくない>楽しい」になったら見切りをつけて別のことを選択する、といった具合です。今の時点ではそんな人生に満足していると思います。しかし、日本は何となく苦労を美徳にする社会というか、何かの目標のために一生懸命辛いことに耐えたりすることが幸せにつながるような考えが多い気がして、このままではこの先どうしようもない落とし穴が待っているのではないかと不安になります。(31歳・女性)

A 楽しくないことに見切りをつける潔さは、あなたの強さです。

 そうですね、日本はなんとなく苦労を美徳にする社会でしたね、かつては。

 どうでしょう、今は。いわゆる苦労が超過労働であったり、ブラック企業でのあらゆるハラスメントに耐えるというものであっても、それを耐えたから何か実ることがあるのかどうか。スポーツの世界でも昔のような理不尽な練習方法(先生や先輩からの容赦ない暴力や炎天下でのしごきなど)が、良い結果には繋がらないのはみんな知っていることです。

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 苦労というのはなんとなくアピールしたくなる側面を持っていて、成功した人の話などでは必ず苦労話が抱き合わせになっています。そういう話は苦労部分と成功部分の落差が大きければ大きいほど盛り上がります。

 でも、誰もがみんなそのようなコントラストの強い日常を生きている訳ではないと思います。

 夢中になるほど楽しいことを見つけたら、そのために他のことを犠牲にしても力を尽くす。そのようなことも客観的には、ちょっとした苦労に見えるかもしれません。

 あなたは楽しいことばかりを選択しているからいずれ帳尻が合うように楽しくないことがやってくると不安になっておられますが、生きていると自分が選択しなくても、思いもかけない辛いことや試練がやってくるものです。私が思うに31年の人生の中ではすでにいくつかそのような経験をされていると思います。

 楽しくないことに見切りを付ける潔さは誰もが持ち合わせているわけではない、あなたの強さです。その前向きさであなた自身も気付かないうちに小さな苦労を乗り越えているんだと思いますから、これからも楽しさを選択基準の天辺に位置づけていいはずです。

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