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両国駅(JR総武線)――大正モダン建築と国技館と

 取材目的で改めて両国駅を訪れたのは大相撲五月場所の真っ最中。国技館の最寄り駅(というかお隣)の両国駅は、スー女(相撲女子)で大混雑していた。そして改札口を出て駅前広場を左に進むと、中にはホンモノ(と同サイズ・同素材)の土俵もあるという商業施設「-両国-江戸NOREN」。実はこの施設こそ、かつてのターミナル・両国の在りし日を偲ばせる旧駅舎なのだ。

 

 両国駅、その名の由来は駅の横を流れる隅田川の両国橋。江戸初期までは武蔵国と下総国の境が隅田川だったため、この名が付いたという。開業したのは1904年で、関東大震災で焼け落ちた駅を再建して1929年に供用を開始したのが鉄筋コンクリート2階建て、上野駅を彷彿とさせる大正モダンな今の駅舎だ。

 当時の両国駅は、東京から千葉方面に続く一大ターミナル。戦後も房総半島向けの特急始発駅だった。だが、1972年に総武線が東京駅まで延伸(総武快速線が開通)すると、ターミナルとしての役割を終える。そして役割といえば国技館の玄関口程度という普通の総武線の駅のひとつになった。そんな中で、往年のターミナルとしての輝きを教えてくれるのが90年近く使われている駅舎、というわけだ。

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 両国駅で普段使われているのは総武線が発着する高架上のホームだけ。だが、実は地上にもうひとつホームがあり、時折臨時列車の発着に使われている。これもまた、駅舎同様ターミナル時代の名残のひとつ。相撲観戦のついでに、ターミナル・両国を偲ぶべし。

国技館の屋根も鮮やか

御茶ノ水駅(JR中央線・総武線)――コルビュジエの弟子が手掛けた

 同じホームで中央線から総武線に乗り換えられる御茶ノ水。便利な駅なのだが、どうにもホームが狭くて危なっかしい。神田川の渓谷ギリギリにつくられた駅だから、開業から100年以上経った今も“これが限界”なのだという。

 

 で、そんな御茶ノ水駅、実は駅舎の歴史を変えた駅でもある。

 1932年に建てられたお茶の水橋側の駅舎。設計したのは鉄道省所属の建築家で、“近代建築の巨匠”ル・コルビュジエの指導も受けていたという伊藤滋という人物だ。そのため、御茶ノ水駅舎はわかりやすいくらいのモダニズム建築。ただ、ポイントはそこではない。

 それまでの駅は、列車が来る度に乗客をホームに入れる“列車毎改札”だった。そのため、どの駅にも大きな待合室があったのだ。ところが、御茶ノ水駅では待合室を廃止し、やってきた乗客をどんどんホームに流し入れ、到着する列車に次々乗せるという今と同じスタイルに改めたのだ。 

 今でも列車本数の少ない地方の駅では列車毎改札をしているケースも多いが、いわばこれは“前御茶ノ水スタイル”。そしていつでもホームに入れる多くの駅のスタイルを、“御茶ノ水スタイル”と名付けてみたいがいかがだろうか。

リバーサイドの御茶ノ水駅