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堀切駅(東武スカイツリーライン)――金八と小津と木造駅舎

 この駅に降り立った人は、誰しも「さんねぇん! びぃぐみぃ! きんぱちせんせぇぇぇ!」と叫びたくなる――そんな荒川沿いに佇む堀切駅。あの学園ドラマの最高傑作『3年B組金八先生』ではほぼ毎回登場し、高校受験を終えた生徒たちが堀切駅へ降り立つシーンはもはやテッパンだった。

 

 実は金八先生だけでなく小津安二郎監督の映画『東京物語』にも登場したこともあるなど、古くから“ロケの聖地”の堀切駅だが、その歴史は意外と悲哀に満ちている。

 堀切駅そのものが開業したのは1902年で、その後一時期廃止され、1924年に荒川放水路建設に伴って現在地に移転開業。その結果、悲しいかな「堀切」という地名は荒川の対岸に移ってしまい、堀切駅だけが取り残されてしまったのだ。まるで天の川を隔てて引き離された織姫と彦星のごとく。ただ、織姫と彦星は年に一度、七夕の夜に会えるけれど、駅と地名ではそうもいかず、1世紀近く経った今もまだ会えていない。近くを走って荒川を渡る京成本線に互いの思いを託すだけ、とでも言おうか。ちなみに、金八先生に登場する桜中学は足立区立。地名の「堀切」は葛飾区だからもちろん学区が違う。3Bの生徒たちでも橋渡し役にはなれないのだ。

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 かくも悲しき堀切駅の物語。開業以来、駅周辺の風景は大きく様変わりした。目の前には首都高の堀切ジャンクションが現れて、桜中学の撮影に登場した足立区立第二中学校も廃校になって東京未来大学に。ホームから南を見れば、東京スカイツリーもそびえている。変わらないのは、小さな木造駅舎の堀切駅と、駅前のラーメン屋「みゆき」くらいだ。本来の地名と引き裂かれた悲運の堀切駅、変わりゆく東京をどう見つめてきたのだろうか。

 古き駅にはドラマがある。何しろ、変わっていくのは町の景色ばかりで自らは変わらずにその場所にあり続けているのだ。だから、現代的な町と古びた駅舎の組み合わせは、本当ならば違和感があるはず。それを感じさせないのは、変化を見つめ続けてきた駅の意地なのか。ただ、そんな古き駅も、耐震対策や利用者の増加で少しずつ姿を消している。今の池上駅、原宿駅ももう風前の灯。急ぎ足で改札を通り過ぎるのもいいけれど、ちょっとだけ消え行く古き駅を仰ぎ見て、その姿を目に焼き付けておくのもいいかもしれない。

写真=鼠入昌史