そして、本著の中で氏の執筆作品、特撮ヒーロー番組の『サンダーマスク』(72年)について私が書いた内容について触れ、「よくもまぁ、僕の大好きな『サンダーマスク』を、あんな風に茶化してくれたもんだね」と半分冗談っぽくツッコまれた。「い、いや、あれは上原さん以外の方が書かれたお話を紹介したものなので……」と答えると「そう? とにかく僕の嫌いな評論家……サブカルっていうの? サブカル評論家にだけはなってくれるなよ」と言われた。実際、上原氏の執筆回以外のエピソードについて書いていたので内心ホッとはしたものの目があまり笑っていなかったので、「あれは内心ちょっと怒ってたんだろうなぁ」と、今にして思う。天国の上原さん、ごめんなさい。改めてお詫びします。
一生貫き通したクリエイティヴ精神
上原氏が最晩年までよくお仕事をされていた、円谷プロ出身の八木毅監督からお聞きしたお話だが、上原氏は亡くなる数日前の年末まで、監督と二人で新作の構想を練られていたという。病気は意識しつつもその死はご本人も予測しない、突然のものだったのだろう。
強烈な反骨精神と優しさ、その二極を併せ持つ作家・上原正三。今、脳裏に浮かぶその笑顔には先の「怪獣使いと少年」でMATの伊吹隊長(演・根上淳)が言った「日本人は美しい花を作る手を持ちながら、いったんその手に刃を持つと、どれだけ残虐きわまりない行為をすることか……」との名セリフがダブる。沖縄出身の日本人作家・上原正三に育てられた我々“上正チルドレン”は、その魂と精神を後世に伝えていく義務と使命があるだろう。今の自分はもう天丼を完食できないが、人生の最後の瞬間まで創作意欲を失わなかった上正“師匠”の後ろ姿だけは追い続けていきたいと思う。