「非常用電源が使えなくなるとは想像もしていませんでした」
「固まっているデブリをどう切り出すのか、取り出したデブリをどう安全に処理するか、という課題はあります。それでもデブリをつかんだ。次はそれを持ち出すこと。それは遠い未来じゃないと思います」
そう語ったのは、東芝エネルギーシステムズで原子力福島復旧・サイクル技術部に所属する中原貴之(38)だ。中原は東日本大震災の当日も福島第一原発のそばにいた。当時、30歳になるという若手社員だった。
立っていられないような激しい揺れに驚いたが、地震直後に「スクラム(制御棒を核燃料に差し込んで運転を停止する)した」という連絡を受けており、「それなら(原発は)止まるな」と考えていた。
「まさかそのすぐあとに十数メートルの津波が原発に降りかかり、非常用電源が使えなくなるとは想像もしていませんでした」
その後、中原は福島第一原発にずっと関わってきた。
困難に次ぐ困難の繰り返し
冷温停止、使用済み燃料の取り出し、汚染水対策、燃料デブリの取り出し……。言葉で記すと、簡単に映る作業だが、その内実は困難に次ぐ困難の繰り返しだったという。
なぜなら廃炉という作業は、やろうと思ってもすぐできることではなく、十分すぎるほどの入念さで事前の調査や段取りをしておかねば、進められない作業だったからだ。
中原が言う。
「『燃料取り出し』という目標があります。でも、それに着手するには、その前にやるべきことが1000個くらいあるんです。初期で言えば、瓦礫の撤去、高い放射線量を避けるための遮蔽や清掃。また肝心の現場では、線量が高いので数分しか作業できない。また、燃料を取り出す装置すら壊れているので、一からつくらねばならない」
ネックになっているのは言うまでもなく、放射線だ。
世界初の“廃炉”に挑む30代の若手社員たち
すべての作業員は、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告により5年間で100ミリシーベルトが被曝の上限とされている。その数値を守りながら、目の前の課題を解決していく。「万が一」を起こさないため、想像力を駆使して手順や段取りを想定し、実行していくのが、これまでの廃炉作業の工程だった。
そして、そうした世界初の慎重な作業をデザインし、実際に実現させてきたのはみな30代の若手社員たちだった。
◆
では、デブリをつかむに至るまでにはどのような過程を経てきたのか。「文藝春秋」2月号および「文藝春秋 電子版」に掲載の「廃炉最前線 福島第一原発の『若き指揮官』たち」でその詳細を記した。
※「文藝春秋」編集部は、ツイッターで記事の配信・情報発信を行っています。@gekkan_bunshun のフォローをお願いします。
廃炉最前線 福島第一原発の「若き指揮官」たち
【文藝春秋 目次】「消費税ゼロ」で日本は甦る<政策論文>山本太郎/<総力特集>2020年の「羅針盤」/わが友中曽根康弘 渡辺恒雄
2020年2月号
2020年1月10日 発売
特別定価980円(税込)