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2020/01/26

「非常用電源が使えなくなるとは想像もしていませんでした」

「固まっているデブリをどう切り出すのか、取り出したデブリをどう安全に処理するか、という課題はあります。それでもデブリをつかんだ。次はそれを持ち出すこと。それは遠い未来じゃないと思います」

 そう語ったのは、東芝エネルギーシステムズで原子力福島復旧・サイクル技術部に所属する中原貴之(38)だ。中原は東日本大震災の当日も福島第一原発のそばにいた。当時、30歳になるという若手社員だった。

中原貴之氏

 立っていられないような激しい揺れに驚いたが、地震直後に「スクラム(制御棒を核燃料に差し込んで運転を停止する)した」という連絡を受けており、「それなら(原発は)止まるな」と考えていた。

「まさかそのすぐあとに十数メートルの津波が原発に降りかかり、非常用電源が使えなくなるとは想像もしていませんでした」

 その後、中原は福島第一原発にずっと関わってきた。

困難に次ぐ困難の繰り返し

 冷温停止、使用済み燃料の取り出し、汚染水対策、燃料デブリの取り出し……。言葉で記すと、簡単に映る作業だが、その内実は困難に次ぐ困難の繰り返しだったという。

 なぜなら廃炉という作業は、やろうと思ってもすぐできることではなく、十分すぎるほどの入念さで事前の調査や段取りをしておかねば、進められない作業だったからだ。

デブリをつかんだ「爪」

 中原が言う。

「『燃料取り出し』という目標があります。でも、それに着手するには、その前にやるべきことが1000個くらいあるんです。初期で言えば、瓦礫の撤去、高い放射線量を避けるための遮蔽や清掃。また肝心の現場では、線量が高いので数分しか作業できない。また、燃料を取り出す装置すら壊れているので、一からつくらねばならない」

 ネックになっているのは言うまでもなく、放射線だ。

世界初の“廃炉”に挑む30代の若手社員たち

 すべての作業員は、ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告により5年間で100ミリシーベルトが被曝の上限とされている。その数値を守りながら、目の前の課題を解決していく。「万が一」を起こさないため、想像力を駆使して手順や段取りを想定し、実行していくのが、これまでの廃炉作業の工程だった。

 そして、そうした世界初の慎重な作業をデザインし、実際に実現させてきたのはみな30代の若手社員たちだった。

出典:「文藝春秋」2月号

 では、デブリをつかむに至るまでにはどのような過程を経てきたのか。「文藝春秋」2月号および「文藝春秋digital」に掲載の「廃炉最前線 福島第一原発の『若き指揮官』たち」でその詳細を記した。

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