文春オンライン

心が温まる「泣ける話」

がんと闘った天才物理学者 66歳で逝去した戸塚洋二があの日、私たちに問いかけたこと

がんと闘った天才物理学者 66歳で逝去した戸塚洋二があの日、私たちに問いかけたこと

「生物学は科学なのか」に感じた矜持

2019/12/30

「戸塚さんが亡くなったよ」

 2008年7月10日、立花隆氏からこんな留守電が吹き込まれていた。戸塚さんとは、当時の物理学界を代表する研究者、戸塚洋二氏のことである。ノーベル賞受賞も確実視されていた。

 留守電を聞いて、インターネットのニュースサイトを開くと、たしかに訃報が載っていた。享年66歳である。 

ADVERTISEMENT

 愕然とした。

スーパーカミオカンデで笑顔を見せる戸塚洋二氏  ©︎文藝春秋

訃報の1カ月前に行われていた対談

 立花氏と一緒に戸塚氏に会ったのは、その1カ月ほど前である。立花氏は当時、月刊「文藝春秋」で膀胱がん手術の体験記「僕はがんを手術した」を連載していた。その番外編として、がん患者でもあった戸塚氏との対談記事を同誌に載せるのが訪問の趣旨だった。

 筆者は1990年代後半の学生時代、立花氏のゼミを受講した。それ以来、折にふれ、立花氏の取材の手伝いをしたり、本の編集をしたりするなどの付き合いが続いている。

亡くなる1ヶ月前、対談時の戸塚洋二氏 ©︎文藝春秋

 対談場所は、一番町の日本学術振興会学術システム研究センターのオフィスだった。戸塚氏はさすがに元気とは言いがたい様子だったものの、自宅からそこまで一人で来たと仰っていた。それなりの体力はあるのだろうと思っていただけに、1カ月後の逝去に心底驚いた。

 筆者がまとめた二人の対談記事「がん宣告『余命十九カ月』の記録」は、「文藝春秋」の2008年8月号に掲載された。奇しくも、戸塚氏が亡くなったのは、その発売日だった。

2002年のスーパーカミオカンデで

 戸塚氏の発言でよく覚えているのは、2002年の夏、立花氏に同伴して岐阜県神岡のスーパーカミオカンデを見学したときに聞いた「生物学は科学なのか」というものだ。

 スーパーカミオカンデは、宇宙から降ってくる素粒子である宇宙線を観測する装置である。かなり大ざっぱにいえば、10階建てビルがすっぽり収まるタンクに水を満杯に入れ、タンクの壁面に巨大な電球をぎっしり敷き詰めればスーパーカミオカンデのできあがりである。