コメディアン、俳優の伊東四朗 ©朝倉宏二/文藝春秋

 コメディアンで俳優の伊東四朗はきょう6月15日が誕生日で、80歳となった。1937(昭和12)年、東京の下谷区(現・台東区)の洋服店に生まれた伊東は、「ひ」を「し」と発音するなど、いまでも完全な下町言葉をしゃべる。

 1958年、21歳のとき、喜劇俳優・石井均(きん)の旗揚げした劇団に、研究生として参加したのを機に芸能界入り。劇団解散後の1961年、三波伸介と戸塚睦夫と「ぐうたらトリオ」を結成。のち「てんぷくトリオ」と改称し、トリオ・ブームに乗って人気を集める。しかし、伊東はあくまで“トリオの3番目の男”という存在であり、一部では才能を認められながらも、なかなかパッとしなかった。

 だが、単独での活動が多くなっていた40歳になる前後、バラエティ番組『みごろ! たべごろ! 笑いごろ!!』に出演してブレイクをはたす。このとき、「ベンジャミン伊東」なるキャラに扮し、『電線音頭』を歌って踊ったほか、小松政夫を相手に激しいツッコミ役を演じて人気を集めた。以後、バラエティだけでなく、ドラマや映画にも多数出演、コメディもシリアスな役もこなし、歳を重ねるごとに存在感を増していった。

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「てんぷくトリオ」の3人 (左から)戸塚睦夫、三波伸介、伊東四朗 ©共同通信社

 一昨年、78歳になっていた伊東は、自らの引き際について「私の理想はフェードアウト。引退します、なんて発表しない。『最近出ないね、あの人』『ああ、なんか辞めたみたいだよ』っていうのが一番いいね」(笹山敬輔『昭和芸人 七人の最期』文春文庫)と語った。しかし、それもしばらく先のことだろう。文化放送のラジオ番組『伊東四朗 吉田照美 親父・熱愛(パッション)』は今年で放送20年を迎えた。記憶力はいまなお抜群で、最近でも同番組で、戦前活躍した喜劇俳優・高勢実乗(たかせみのる)のモノマネを演じてみせ、オリジナルを知らない筆者も大笑いさせられたものだ。全盛期の浅草で喜劇の舞台や映画を観ながら育った彼は、かつて作家の小林信彦が著書『喜劇人に花束を』(新潮文庫)で書いたとおり、「最後の喜劇人」と呼ぶにふさわしい。