いまから120年前のきょう、1897(明治30)年6月22日、京都帝国大学(現・京都大学)が設立された(開学は同年8月13日)。これにともない、それまで唯一の帝国大学だった東京の「帝国大学」(1877年に東京大学として設立)は、「東京帝国大学」と改称する。

 京都帝大の開学にあたっては、第三高等学校を移転させてその校地・校舎を利用し、まず理工科大学が発足。以後、1899年に法科・医科大学、1906年に文科大学が開設された。東京帝大が高級官僚の養成校という色合いが強かったのとは一線を画し、京都帝大はドイツの大学にならい、開学当初より「教授と学修の自由」を前提とし、教育と研究の統合を目指す改革が進められる(天野郁夫『帝国大学――近代日本のエリート育成装置』中公新書)。

京都大学の時計台 ©時事通信社

 このあと帝国大学は、東北や九州にも設置されることになる。東北帝国大学が設立されたのは、京都帝国大学の設立から10年後の同日、1907(明治40)年6月22日のことだ。もっとも、現在の東北大学の母体となる仙台の東北帝大理科大学の開設は、1911年まで待たねばらならなかった。東北帝大発足時に開設された農学大学は、札幌農学校を帝国大学に昇格したもので、こちらは現在の北海道大学の母体にあたる。

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 なぜ、札幌農学校は、東北帝大の一部という形で帝国大学に昇格したのか? これは当時の「帝国大学令」により、帝国大学は総合大学でなければならないという規定があったためである。しかし、農科のほかに分科大学をつくるには予算が足りない。そのため札幌農学校は昇格にあたり、まず東北帝大の軒下を借りたのだった。東北帝大農科大学が東北帝大から独立し、北海道帝国大学農科大学が設立されるのは、さらに10余年を経た1918(大正7)年のこと。翌19年には「帝国大学令」が改正され、分科大学は学部に改称、北海道帝国大学には新たに医学部が置かれている。