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練習は週3回という「約束事」を学校側は守らない

「クラスメイトとの学校生活は楽しかったですが、7月、外出時に過換気になり、心療内科に通院しました。部活を奪われた半年間は、一番苦しかったです。病院では、心理テストをして、『死にたいとは思うが、そのための行動までは取らない』という範囲と言われました。両親が、部活に行けない間、学校外での練習を勧めてくれ、ギリギリ生きていられました」

 敏志さんへのプレッシャーはまだ続く。部活に参加できるようになった後、毎回、校長とB教諭の前で「約束事」の読み合わせをさせられた。このことは「約束事」にはない。

©iStock.com

 加えて、教員が付き添い、練習は週3回という「約束事」を学校側は守らない。「教員が部活動に付き添いする」との内容だったが、他の教諭がいても、B教諭が部活に顔を出せる週1回のみの参加になった。

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「両親や弁護士が抗議をしてくれました。そのため、どうにかなるだろうと思っていたんですが、反面、週1回でも行けているのでいいや、という感覚が当時ありました」

 また、時期ははっきり覚えていないというものの、敏志さんは気分が悪いと、何度も保健室へ駆け込んでいた。特別指導にかかわった教員と一対一で話すとき、B教諭に部活でのポジションを制限されたとき、B教諭の担当授業のときだった。

「ストレスがお腹にかかり、お腹いっぱいで気持ち悪くなりました。薬を飲むと忘れられましたが、(ストレスがお腹にいっぱいで)お腹が空くことはありませんでした」

B教諭の顔は見たくないし、しゃべりたくない

 3年生の11月、全国大会出場をかけた最後の大会で、敏志さんはリハーサル前日まで練習していた。その帰り道、学校から出場を認めないという通知が届く。再び、明子さんからの訴えによるものだが、学校側は事実確認をしていない。

 大会当日、応援に駆けつけると、B教諭から「部員と一緒にいること、記念写真を撮ること、ミーティングに参加することを禁止する。学校の決定である」と通告された。過剰と思われる指導がされたと主張する。

 現在、敏志さんは大学生だが、3年間の高校生活を振り返るとどう思うのか。

現在は大学に通っている敏志さん ©渋井哲也

「部活動は、参加を禁止されたり、制限されたことはありましたが、それなりに充実しました。出会った先輩のなかで、一番好きな先輩にも出会えました。大切な同期とのつながりも続いていますし。

 しかし、きちんと手順を踏んだ特別指導をされなかったことに怒りを覚えます。B教諭の顔は見たくないし、しゃべりたくないです。校長も嫌いです。異動したと聞きましたが、正直、逃げたなと思いました。

 学校側の書面を読むと、いろんな感情が湧きました。『これが大人の言うことか』と。学校には名誉を傷付けられましたので、裁判では、特別指導の白紙撤回を望みます」