石原慎太郎は特異な人物だ。昭和三十一年、『太陽の季節』によって二十三歳で芥川賞を受賞、太陽族ブームを巻き起こし、古い価値を打破する反逆的若者の代表となった。それが、いつしか自民党のタカ派議員となり、元祖ネトウヨ的な暴言を連発する東京都知事に豹変する。いったい、いつ変わったのか?
〈作家はなぜ政治家になったか〉の副題を持つこの短い評伝は、そんな石原の変化の諸相を鋭く突いている。古い資料の発掘と丹念な読み解きが、興味深い。「憲法改正や再軍備は、再びわけのわからぬ国家意識を復活させるから反対。(略)今の憲法の明るさがいい」――若き日の石原の発言に唖然とする。「もし戦争になって徴兵で引っ張り出されたら」と問われ、即座に「逃げちゃう」と応えてもいる。古市憲寿ではない、石原慎太郎が!
護憲で厭戦的な若手作家が、最初に政治に直面したのは「若い日本の会」だ。江藤淳が主宰し、石原や大江健三郎、開高健、浅利慶太、黛敏郎ら当時の若手文化人が多数参加した。警察官職務執行法改正案への反対運動から出発する。時あたかも六〇年安保前夜、あくまで反政府的な運動だが、この顔触れのその後の歩みを思えば、なんとも感慨深い。
江藤は運動に失望し、保守派の道へ。石原は? 南米横断のスクーター旅行へと発つ。冒険やスポーツ、スピリチュアルへの傾倒――本書の著者は、石原の抱える「虚脱感」に着目する。太陽の反作用である虚脱。昭和三十五年の小説『挑戦』では、虚脱感を克服するためナショナリズムが要請される。同作が百田尚樹の大ベストセラー『海賊とよばれた男』とまったく同じ題材の小説とは、一驚だ。しかし、この“挑戦”は戦中派・橋川文三らに徹底批判された。作家として挫折した石原は虚脱感の克服を求め、政治、(ベトナム)戦争、やがては特攻隊賛美へと至る。「文学の延長上にこそ政治がある」と称したこの太陽族作家が保守政治家に転ずるのは必然のようだ。
本書の著者・中島岳志はリベラル保守を自称する気鋭の論者で、これは「戦後思想のエッセンス」というシリーズの一冊で出た。「戦後と寝た」とは石原自身の言だ。石原の変転を通して、戦後日本の空虚さを問うこと。見事にそれは達成された。が、アナーキーで反逆的な若者が、虚脱感を克服するため国家主義に回収されるという図式は、いささか単純すぎるのではないか? 石原の人生ほどに彼の小説は、単純ではない。傑作短篇「院内」(昭和四十九年)を読めばわかる。栗原裕一郎+豊﨑由美『石原慎太郎を読んでみた』との併読をお勧めしたい。
この優れて誠実な石原論は、しかしいったい誰が読むのか? かつての石原信奉者もリベラル論者も読まないだろう。それは石原の小説が昔ほど読まれないのと同様だ。そう、“戦後”は忘れ去られたのである。
なかじまたけし/1975年、大阪府生まれ。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専門はインド政治、日本近代思想史。2005年『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、07年『ナショナリズムと宗教』で日本南アジア学会賞。著書に『血盟団事件』など。
なかもりあきお/1960年、三重県生まれ。作家、アイドル評論家。『青い秋』『アイドルになりたい!』など著書、共著、寄稿多数。