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韓国元外交通商部東北アジア局長「韓国人が本当に思っていること」

韓国はいつまで反省を強いてくるのか(1)

2014/06/03
note

不完全な「敗戦処理」を補完した「平和憲法」

 第二に、日本の戦後の基本構造のバランスのことである。

 韓国から見て日本の敗戦処理は非常に不完全なものであった。侵略戦争を起こし周辺諸国に多大な苦痛と損害を与えた責任に関する処理がとても曖昧になっている、天皇をはじめ戦争を主導した指導者たちに対する責任の問い方も不十分であったと感じている。もちろん東京裁判が行われたけれども、それによって十分な責任が果たされたとは思っていない。

 このような不完全性にもかかわらず、戦力を保持しない平和憲法を採択することによって日本が再び脅威にならない保障ができたため、日本の国際社会への復帰が容認されたのである。敗戦処理の不完全性が平和憲法の存在によって補完されてなんとかバランスが取れるようになったのが日本の戦後を支えた基本構造であると言える。

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 従って日本がこのバランスから逸脱しようとする場合には韓国は憂慮と疑心を持たざるを得ないのだ。例えば、今安倍政権は集団的自衛権の行使を可能にしようとしている。韓国としてはそれによって北東アジアの軍備競争が激しくなり地域の平和と安定に否定的な影響が出るのではないかと憂慮を持っているが、基本的には日本の主権に属する問題であり、現実主義的な安保政策として理解できなくもない。ここで重要なのがあのバランスの問題である。

 日本の戦後の基本構造の一つの柱である安保の側面で所謂「普通の国」への大転換が行われるなら、もう一つの柱である戦争責任の部分についてはこれをもっとはっきり強化するか、すくなくとも今までの歴史認識を揺るぎのないものとして再確認することが当然期待される。しかし残念ながら韓国には、安倍総理が靖国神社参拝をするなど戦争責任の歯車を逆に回していることによって、二つの柱のバランスが崩れているように見えるのだ。


 第三に、東京裁判のことである。

 私は東京裁判が日本の敗戦処理の原点であると思う。東京裁判によるA級戦犯などの処刑によって日本が「最低限の」戦争責任を果たしたことになった。ここでの「最低限」という表現に対して日本の方々は違和感を感じるかもしれないが、韓国人の気持ちとしてはそのような表現にならざるを得ないのだ。

 一方で東京裁判に対する日本の方々の思いも私は分かっているつもりである。勝者による裁判であり、公平ではない側面があったかもしれない。A級戦犯の中にはその個人を考えれば気の毒なケースもあると思う。しかし様々な感情や思いはあるけれどそれを受け入れたことが、正に戦争に負けたという厳しい現実の意味する所ではなかろうか。

 東京裁判を国際法的、歴史的に分析し評価をするのは学者等のやることであり、国家の指導者の立場にある人がやるものではないと思う。日本の政治外交を司る責任のある立場の人なら、ちゃんとわきまえて東京裁判はあくまでも敗戦処理という国際政治の領域でその意味合いを考えるべきであり、A級戦犯に対する追悼に繋がる靖国神社参拝は自制すべきである。

 日本の政治指導者が、いくら戦争で犠牲になったすべての戦没者を追悼し、二度と戦争をしないという決意から靖国神社を参拝するのだと主張しても、韓国にはこれが敗戦処理の原点を否定し国際政治の脈絡を無視することとして映ってしまう。


 第四に、所謂「謝罪疲労」のことである。

 日本には過去の不幸な歴史について何度もお詫びをしたにもかかわらず、韓国はいつまで歴史問題を蒸し返し謝罪を求めるのかという「謝罪疲労」とも言うべき現象がある。しかし村山談話や一九九八年「金大中・小渕パートナーシップ共同宣言」、二〇一〇年の菅談話などの蓄積により、今や韓国でも過去の歴史についての更なる謝罪の「発言」を求める声はあまり聞かなくなった。

 しかし韓国が問題視しているのは、謝罪発言があったにもかかわらず、日本の政治指導者たちがそれに符合しない言動を繰り返していることである。例えば安倍政権になってから村山談話や河野談話を修正するとかしないとかという話をよく聞くようになった。もちろん安倍総理が談話の継承を確認したとはいえ、その前の言動を考えると韓国人としてはなかなか額面通りに受け入れられないのである。

 国交正常化から五十年近く経ってもなお歴史問題や慰安婦問題で揉めている日韓関係を目にして、「謝罪疲労」を感じる日本の気持ちも分かるような気がするが、一方で、反省と謝罪の表明があったにもかかわらず、後からそれに相容れない言動が後を絶たない、いつまでこういうことが繰り返されるのかという疲労感が韓国側にあるのも事実である。

 あの戦争と植民地支配に関する性格規定や責任の基本認識については、これまで日本が表明してきた立場に基づいて、少なくとも政治指導者が守らなくてはならないガイドラインのようなものが必要である。そのような確立された基準がないから、両方の疲労感が不毛の連鎖反応を起こしているのではなかろうか。

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