人間は自分が見たいものだけ見ようとする――日韓は今、映画「羅生門」の登場人物のように、自分の世界観だけを声高に主張しているのではないか

 

 人間は自分が見たいものだけを見ようとする。私は授業で学生たちにこのことを説明する時、日本映画「羅生門」を例に挙げている。はたして世の中に真実は一つなのか、ファクトは一つなのか。この問いは個人の社会だけではなく、国家間の関係でも重要な意味を持つ。

 自分の主張は違うけれどもなるべく相手の立場になって考えてみること、それによって相手の置かれた状況や思考回路を理解すること、これが外交の出発点であると思う。しかし相手の考え方を理解するということは、言うのは簡単でも実際は至難の業なのだ。

 それがお互いよく似ているようで、実際は相当違う文化や民族的特質を持っている日韓の間のことならなおさらだ。京都の人に時間があれば家に遊びに来てと言われたとして、ほんとうに行くのはバカだという話のようなものだと言えば分かりやすいか。

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 最近日韓間には歴史や戦後補償問題をめぐって感情的な摩擦と対立が何時にも増して多いようだ。ここでは日本の方々が誤解しやすいいくつかの点について韓国の「思考回路」を説明してみたいと思う。
 

 まずは、本音と建前の区別が無用になったことである。

「韓国も実は慰安婦問題や歴史問題を日本に提起することには無理があるというのをよく分かっているけれども、国民世論や国内政治の事情のために表面的には日本に対して強く出ざるを得ない。だから日本が少しのリップサービス或は人道的な支援措置をして韓国政府のメンツさえ立ててやれば何とかなるはずだ」という見方が日本の中には存在するであろう。

 しかしそれは今の韓国の状況を見誤っていることだと思う。韓国国民は相変わらず日本との友好協力が重要だと思っているが、歴史問題や慰安婦などの戦後補償問題については、民主化と経済発展による自信を背景に断固たる立場をとっている。韓国がまだ途上国であった時は、歴史や戦後処理問題に多少不満があってもこれを後にまわして経済協力を重視する発想が通用したが、今やそうは行かなくなった。

 日韓の友好協力のためにも歴史問題や慰安婦問題は有耶無耶にしてはいけないという意見が韓国では主流で、インターネットとSNSの普及によってますます強くなり政府の外交姿勢にも直接的な影響力を発揮しているのだ。ある意味今の日韓関係の管理が以前に比べて難しいのは、表で言っているのがただの建前ではなくて本音であるという所にあるかもしれない。

 ある日本の知人は私に「韓国政府はなぜそんなに国内世論に弱すぎるのか」と不満そうに言ったが、国内世論からどんどん強い圧力を受けているのはどこの国も悩む、現代外交の難所であり、韓国特有の現象ではない。もちろん、軍事独裁から自らの手で民主化を勝ち取った自負のある韓国国民の声は他の国の場合よりも強いはずではあるが。

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