ヒラリーはアジアを重視している
それでは、今後一年半にわたってヒラリーはどのような選挙戦を戦わなければならないのでしょうか。また、それは世界と日本にはどのような影響があるのでしょうか。
米国の現状から振り返ってみましょう。オバマ政権が発足した二〇〇九年当時、米国はイラクとアフガニスタンの戦争を戦いながら、大恐慌以来の不況に苦しんでいました。オバマ政権については、世界における米国の指導力を減退させ、国内の左右対立を却って先鋭化させたという批判があります。それは、一面の真実を衝いてはいるものの、同政権は歴代政権の中でも世論の動向を特に意識する政権です。オバマ大統領は演説の名手であり、そのレトリックが行動を伴わないとしばしば揶揄されます。しかし、美辞麗句に隠されたオバマ政権の消極性は、米国民が望むところでもあるのです。
就任から六年経ち、米軍は既にイラクから撤退し、アフガニスタンでも政権の任期末までの撤退を予定しています。リビアやシリアは事実上の内戦状態にありますが、米国は軍事顧問団を派遣し、空爆は行っても、本格的な参加は見合わせています。
経済は、先進国の中でも圧倒的に好調です。株価は上昇を続け、雇用は拡大しています。圧倒的な強みを有する情報・ハイテク・医療などの分野は世界経済を牽引しています。苦しんでいた金融業界や自動車業界も母国市場の好調と新興国での強みを回復しています。しかし政府の予算には限界があります。イラクとアフガニスタンでの戦争のつけはまだ払い終わっておらず、傷病兵への補償や退役軍人関連支出はまだこれからかかってくるのです。
本格派の大統領候補を目指してきたヒラリーは、上院では軍事委員会に所属し、オバマ政権一期目には国務長官として外交経験を積み、アジア重視の政策を推進しました。七年前の選挙で彼女を支えた外交政策チームは錚々たるメンバーでした。彼女は国務長官としては、対中外交の観点から公海上の航行自由の原則を強調し、日本の良きパートナーだったといえます。大統領と距離を取った二期目には、ややもすると中国に融和的なオバマ政権やその補佐官らに対し、批判的な態度をほのめかしています。ヒラリーは、レトリック重視のオバマ大統領とは違って、大統領選に勝利したならばアジア重視政策を本格化させたいはずです。国務長官時代の経験も踏まえ、世界における米国の指導力を維持し、同盟国とともに国際秩序を先導していく気概と責任を感じているものと思われます。
撤退の気分は無視できない
しかし、ヒラリーは民主党の大本命の候補です。米国の世論全体が撤退の気分に浸っている現状を踏まえ、常識的な政策を掲げざるをえません。結果として、民主党の支持基盤をまとめることを重視した、あまりサプライズのない政策となるでしょう。外交では、アジア重視の外交を目指しつつ、内向きになっている米国民の雰囲気を尊重するでしょう。それは、民主主義国のリーダーとして当然の判断です。平時の政策変更はプロ主導で進められても、米国の意思が本当に試されるときには、国民の雰囲気がものをいいます。米国民が内向きの発想に傾いていき、世界のリスクを引き受ける姿勢から撤退していく趨勢は政権を超えて持続するはずです。
具体的には、たとえ同盟国から少々の懸念が表明されたとしても、中東和平、イラン、キューバにおける和解の流れを変えることはないでしょう。いくらアジアを重視すると言っても、朝鮮半島や南シナ海や東シナ海における同盟国の権益が、本当に米国にとっても死活的利益であるかについて、真剣な検討がなされるはずです。
日本からすれば、政権の要職につくと思われる高官達とのパイプもできていますから、日常的な協力関係は築きやすいでしょう。他方で、米国からの積極的な要求にどのように応えていくか、難しい国内調整を迫られる場面が増えるでしょう。緊張の高まる東アジアにおいて、同盟が本当に機能するのかという懸念とも長く付き合っていくことにならざるをえません。