それまで中国は、毛沢東の失政とされる大躍進により数千万人単位の餓死者が出るという惨状から立ち直っていない状況下にもかかわらず、国内で飢えに苦しむ人々をよそに、ベトナム戦争を戦うベトナムに対して、せっせと武器などの援助を続けてきた。
ところが、そのベトナムは、最終的に中国が最も警戒するソ連に急速に傾いていった。そしてカンボジア侵攻である。鄧小平がベトナムに向けた怒りは凄まじいものだった。来日時の記者会見で、鄧小平が「ベトナムを懲らしめる」と発言したように、中国としては鎧袖一触の戦いを予想していたのだろう。
開戦当初、中越戦争を指揮した許世友大将も、「一週間ですべてを終わらせる」と豪語していたが、国境に約二十万人の大部隊を展開した中国軍が、まさか長期戦に引きずり込まれるとは、中国の指導者たちのほとんど誰も考えなかったに違いない。
しかし、現実には、大きな戦闘はほぼ一カ月で終結したが、その後十年にわたり国境を挟んで対峙する我慢比べの消耗戦となったのである。
「山を行軍して現地に着いたときに、何人かの隊員がいなくなっていることがあり、そこでやっとベトナム兵にさらわれたことに気付くといった状況がつづき、銃弾が飛び交わなくとも精神的に追い詰められていったといいます。ベトナム兵の強さはアメリカとの戦争で培ったジャングルでの神出鬼没さでした」(中国の戦史研究家)
ゆえに中越戦争は、中国人民解放軍が一敗地にまみれた戦争だと捉えられているのだ。
このときベトナムはアメリカとの戦いを終えたばかりで、すぐにもう一つの大国・中国との戦端を開き、打ち破っている。ベトナム軍(必ずしも軍人だけではない)の持久力と精神力、そして戦術の巧みさを認めないわけにはいかないだろう。
「硬」と「軟」の使い分け
しかし、ベトナムから学ぶべきは、それだけではない。ベトナムの持つ真の強さの源泉は「硬」と「軟」の顔を使い分けて大国を振り回す術なのだ。
「硬」が戦術や、苦しい戦争を戦い抜く精神力だとすれば、「軟」にあたるのが外交力である。
たとえば十三世紀の対モンゴル戦争においても、戦争の前に、朝貢を通じて外交の限りを尽くしている。
これは実は、ベトナム戦争でも同様だった。ベトナムは対米戦を最も低いレベルに抑えるために、様々な外交的なアプローチを展開していた。また同時に、国民に対しては、和解のタイミングを失わないよう、過剰な反米意識を植え付けないよう努めたのである。
この点、対立か宥和かの単純な二分法に陥りがちなわが国の外交は大いに見習うべきだろう。
もうひとつは、大国と対峙する際に、必ずもうひとつの大国を引き込むことだ。ベトナム戦争においては、ソ連と中国の両国をたくみに競争させ、対米戦争のための援助を引き出した。
また中越戦争では、中国はベトナムと戦いながら、その裏側でずっとソ連の脅威に怯え続けなければならなかった。
ひるがえって、現在の南シナ海問題を見てみよう。ベトナムは中国の軍事的圧力に押されているように見えながら、アメリカやASEAN諸国などを引き込んで、国際世論をいかに味方につけるかに余念がなかった。そのひとつのあらわれが、五月末、シンガポールのアジア安全保障会議だろう。日本の安倍首相、米ヘーゲル国防長官があいついで中国を批難、中国は防戦に追い込まれた。
こうした「硬」と「軟」の使い分けこそ、大国に対峙するとき、最も有効な武器となる。それがベトナムから学びうる最大の教訓なのではないか。