アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラーステインによれば、世界史上、ヘゲモニー国家は三つしかなかった。

 十七世紀中頃のオランダ、十九世紀終わりごろから第一次世界大戦勃発頃までのイギリス、第二次大戦後からベトナム戦争勃発の頃までのアメリカ合衆国である。

 ウォーラーステインは、近代以降の世界を「近代世界システム」として捉え、工業・商業・金融業の三部門で他を圧倒した経済力をもつ国を「ヘゲモニー国家」と呼んだ。このヘゲモニー国家のあり方を論じることは、今に続く近代資本主義の世界の仕組みを考究することに通じる。本稿ではヨーロッパ強国の盛衰を追いながら、ヘゲモニー国家の条件を探ってみたい。

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スペインの繁栄と衰退

 ウォーラーステインによれば十五世紀末から十六世紀にかけて「ヨーロッパ世界経済」が誕生した。そこで大きなインパクトを与えたのが、一四九二年、スペイン女王イサベルの援助による、コロンブスの「新世界の発見」である。この新天地から生じる富を独占できなかったとしたら、ヨーロッパはアジアや中東の大帝国に比べ、貧しい地域のままだった可能性が大きい。

 しかしスペインは、アジアには巨大な植民地をもっておらず、マニラとメキシコとの貿易(アカプルコ貿易)で活躍したにすぎなかった。それは太平洋に浮かぶ細い糸であった。したがってスペインは巨大な海洋帝国を築いたとはいえなかった。

 教科書的な説明では、〈その後、コンキスタドールとよばれるスペインの征服者たちが、中南米を侵略し、スペインは巨額の富を獲得した。とくに、現在のボリビアのポトシ銀山で採掘された銀の量はきわめて大きく、それまで南ドイツで栄えていた銀山を根絶やしにしたほどである。スペインは巨額の中南米の銀を手にしたものの、それらを戦争目的に使ってしまい、やがて衰退を余儀なくされた〉となる。

 こうした説明に妥当性はあるが、中南米で使われる銀もあり、新世界からヨーロッパに輸出される銀の重要性を過大評価した学説である。

 新世界からヨーロッパに送られる商品として、十六~十八世紀においてもっとも重要だったのは全体としては砂糖である。

 スペインについては、十八世紀まではカカオが中米貿易の中心であったが、一八四〇年代になると、スペイン領キューバの砂糖生産量は世界一になった。だから実際には、スペインは十七世紀から十八世紀にかけ、決して急激に経済力を低下させたわけではない。しかし、オランダの台頭はそれをはるかに上回るものだった。

史上初の海洋帝国ポルトガル

 史上初の世界的な海洋帝国を形成したのは、スペインよりも少し遅れて新世界に乗り出したポルトガルであった。ブラジルに巨大な植民地を有し、東西アフリカ、さらにはシンガポールなどアジアの一部にも植民地をもっていた。ポルトガル語は、十八世紀末に至るまで、アジアの貿易では、おそらく最も頻繁に使用されるヨーロッパの言語であった。しかもこれらの諸地域の商業的結びつきは強かったのである。そのカギを握ったのは奴隷貿易だった。

 ブラジルには西アフリカから大量の奴隷が輸送された。近年、奴隷貿易の研究スタイルは大きく変わり、そこで明らかになった奴隷貿易数によれば、これまで考えられていたイギリス(十六~十八世紀で約三百二十六万人)ではなく、ポルトガル(約五百八十五万人)が最大の奴隷貿易国だったことがわかっている。これは世界史上でも類を見ない規模の人口移動だった。

 こうした奴隷は新世界のプランテーションで働き、砂糖を生産した。このようなシステムを最初に作り上げたのはポルトガルであり、他国はそれを真似したのである。

 より正確に言えば、このシステムを広めたのはセファルディム(イベリア半島出身のユダヤ人)であった。十五世紀の後半、レコンキスタの完成に伴い、イベリア半島からユダヤ人が追放された。各地に離散した彼らセファルディムは密接な商業ネットワークを形成した。そのためブラジルで砂糖の製法を身につけたセファルディムが、西インド諸島のオランダ領の同胞に砂糖の生産方法を教えたと考えられている。さらに彼らはイギリス領とフランス領の西インド諸島植民地にもそれを広めた。おそらくセファルディムがいなければ、新世界でこれほど砂糖が生産されることはなかったであろうし、ヨーロッパの台頭もなかった。

 ポルトガルの植民地経営の特徴は、国家ではなく、ポルトガル商人が自ら、リスボンだけではなく、さまざまな貿易港から、世界各地に乗り出し、運営していた点にある。つまりポルトガル海洋帝国は「商人の帝国」であった。後に植民地大国として台頭したイギリスが、国家主導で他国をコントロール下に置いたのに対し、ポルトガルはそうした国家的意志を持たなかったのである。

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