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イギリスの特異性

 これまで論じてきたスペイン、ポルトガル、オランダでは、経済に対する国家の介入は少なかった。だがイギリスはそれとはまったく逆に、国家が積極的に経済に介入して経済成長を成し遂げたのである。

 一六五一年、イギリスは最初の航海法を導入し、オランダの海運業の締め出しをはかった。アダム・スミスによれば、たぶんイギリスで最も賢明な通商上の規制であった。国家が主体となって、通商政策を展開したのである。国家の保護下でイギリスの海運業はどんどん発展し、十八世紀末にはイギリス船の数はヨーロッパ最大になった。

 イギリスの特異性は、海運業のみならず、財政・金融面でもみられた。一七二〇年に、こんにちの「バブル経済」の最初となった南海泡沫事件がおこると、イギリスの財政金融制度は、イングランド銀行を中心としたものに一元化される。イングランド銀行が国債を発行し、その返済を議会が保証するファンディング・システムが完成する。イギリスは、戦争になるとイングランド銀行が国債を発行し、平時にはそれを返済するようになる。このように中央集権化された財政金融システムは、他国においては十九世紀までみられない。この点で、イギリスの財政金融システムは大きく進んでいた。

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 この財政上の優位は、軍事的優位にもつながった。名誉革命がおこった一六八八年から、ウィーン議定書がまとめられた一八一五年まで、イギリスは何度もフランスとの戦争をした。それは、基本的には大西洋貿易での優越を獲得するためのものだった。イギリスはそれに勝ち抜き、大西洋経済の覇者となっていった。

 イギリスが産業革命に成功したのも、通商面での優位を、国家的な取り組みとして、自国の工業システムと結び付けられたからだ。イギリスは、西アフリカで購入した奴隷を北米大陸南部のプランテーションで労働させ原綿を生産し、本国で完成品にした。そして完成品となった綿織物を、世界各地で販売した。それまでヨーロッパ最大の工業製品であった毛織物と異なり、綿は何度も洗うことができ、通気性が良いので下着としても使われ、世界各地で販売された。こうしてイギリスは「世界の工場」としても発展した。

 つまり国家による積極的な通商政策、中央集権化された金融・財政、通商と工業とのリンク、いずれの面でもこれまでの強国にない特異な仕組みを作り上げたのである。

 しかし、ここで見落としてはならないのは、商品がたくさん売れ、豊かな国になるのと、ヘゲモニーを握るのは、実は別だということだ。イギリスが真にヘゲモニー国家、すなわち経済のゲームのルールを決定する国となった決定的な要因は、「電信」の発達にあったのである。

世界制覇の道具としての電信

 綿製品は形がある商品、すなわち「有形財」であるのに対し、情報や技術などは目にみえない「無形財」である。そして、この無形財こそがイギリスをヘゲモニー国家にした。

 電信は、一八三六年にアメリカのモールスが発明したが、これをアメリカ以上に発展させたのがイギリスであった。五一年にはドーヴァー海峡で海底ケーブルが敷かれ、六六年には大西洋を越え、七一年には長崎にまで到達した。情報の世界ネットワークが形成されたのである。

 電信は商業情報の伝達スピードに大きく影響した。瞬時に商業情報が伝達され、決済手段として使用されることで、商業がグローバル化した。電信網の普及により、情報の正確性、スピードは飛躍的に増大し、商業取引のコストは劇的に低下した。

 さらに、金融業にも革命的影響を及ぼした。世界は大まかには金本位制の地域と銀本位制の地域に分かれていたが、一八七〇年代には、ほとんどの国々が金本位制を採用することになった。それは、世界が、電信により、金本位制を採用していたロンドンの金融市場と直接つながるようになったからだと考えられる。

 イギリスは、世界中に鉄道を建設し、さらに世界の海運業を支配した。それの運行管理にも電信が使われた。イギリス帝国の拡大と、電信の発展はパラレルな関係にあった。一九一三年には世界の電信の八割がイギリス製であった。その手数料収入は膨大なものであったはずである。

 一八七〇年頃になると、ドイツやアメリカの工業生産がイギリスのそれを上回るようになるが、両国ともイギリス製の電信を使って国際取引をしなければならない以上、経済のゲームのルールは、イギリスが決定していたといえよう。

 イギリスの植民地が世界の至るところにあり、世界の商品がイギリス船で運ばれ、イギリス製の鉄道があちこちで敷設された。それらは、海底ケーブルを中心とする電信システムによってつながれ、その根拠地がロンドンにあった。金本位制のもと、国際的な取引は、ロンドンで電信を使って決済された。これこそがイギリスのヘゲモニーの姿であった。世界経済が発展するほど、イギリスに富が流れ込むシステムが出来上がったのである。

 こうしたイギリス型の覇権構造を受け継いだのがアメリカだったといえる。二つの世界大戦により、アメリカは台頭した。世界のどの地域からも遠く、主戦場にならなかったからである。戦後のアメリカは国際機関の実質的リーダーでもあり、そのため世界各地の争いに関与した。ヘゲモニー国家アメリカは、いわば世界の警察であった。

 ベトナム戦争後、アメリカ経済は衰退したが、IT技術によってリバイバルした。この技術は、軍事技術を商業に活かしたものであり、本来なら儲からない技術を、商業技術として利用して利益を上げた。軍事情報と商業情報は表裏一体の関係にあり、軍事情報を握ったものが、経済的にも勝利したのである。