グローバル=英語?
日本のビジネスマンを見ていて感じるのは、日本人は相手のことを好きになったり、「いい人だな」と思わないと、うまくビジネスが進まないという傾向が強いことです。だから、南国特有の、のんびりとした地域性を持ち、日本に対しても漠然とした「いいイメージ」を抱いてくれている東南アジアでは、ビジネスがしやすい。
それに対して、中国はもとより、欧米でもビジネスはビジネス、相手がどんな性格でも関係ない、という姿勢がむしろ一般的です。
中国で、たまたま共産党の幹部と欧米企業のビジネスマンが会食している場面にでくわしたことがありましたが、その白人がペコペコと頭を下げ、媚を売りながら、白酒(パイチュウ)を飲まされている姿が印象的でした。後で、欧米のビジネスマンにそのことを話すと、
「それで商談がまとまるなら、好き嫌いとか、尊厳なんて、関係ない。日本なんて、上海まで三時間半で行けるんだから、ほとんど国内と同じなのに、中国市場で苦戦しているなんて、信じられないよ」
と返ってきました。つまり、ビジネスマンの姿勢としては、相手への信頼から入ろうとする日本人の方が“グローバル・スタンダード”ではないわけです。
もうひとつ、日本が特殊だと感じるのは、階層の上下の差が少ないことです。中間層のボリュームが厚すぎる。そもそも日本以外の国で、大企業の社長がコンビニで買い物したり、人気ラーメン店の行列に並んだりする国がどれくらいあるのでしょうか。中国・韓国はもとより、東南アジア諸国も格差社会です。そこへ日本の商品を持っていくと、金持ちにはもの足りない、一般庶民には高すぎる、と合致する購買層がないのです。
私は、こうした日本の特殊性が悪いことだとは思いませんし、日本の強みでもあると思いますが、世界に向かってビジネスをするなら、少なくとも自分たちが特殊であることは自覚したほうがいい。そこから戦略を立てていく必要があると思います。
たとえば、日本企業では、グローバル化というとすぐに英語研修などに走り勝ちですが、「グローバル=英語」という発想自体がすでに「ガラパゴス」なのです。
日本の企業は東南アジア諸国を安い労働力が確保できる生産拠点として捉える傾向がありますが、むしろ、今後は市場としての可能性に目を向けるべきです。その市場に分け入るには、現地のニーズを深く知らなければなりません。中国も多民族国家、東南アジア諸国ともなると、多民族なうえに言語も宗教宗派も異なる。英語もほとんど通じません。そうした「現地」で戦う力が、これからの日本には求められているのです。