阿部、内海、山口鉄は“強い巨人”の象徴だった

 彼らがいない東京ドームは、まるで抜け殻のようだ。

 阿部慎之助も内海哲也も山口鉄也も1軍にいない巨人軍。思えば、21世紀に入ってからのチームは常に彼らとともにあった。阿部は巨人に入団した2001年から10年連続開幕マスクの不動の正捕手として君臨。内海は3度の開幕投手を務め、2度の最多勝を獲得し、五冠達成の12年には阿部とのコンビで最優秀バッテリー賞に輝いた。育成選手から成り上がった山口鉄は昨季までプロ野球記録の9年連続60試合登板、実働11年で計637試合登板と雨の日も風の日も投げまくりブルペンを支え続けた。いわばこの男たちが“強い巨人”の象徴的存在だったのである。

 だが、今シーズンは5月22日の山口鉄、6月16日の内海に続き、6月19日には右膝を痛めた阿部も登録抹消。気が付けば、一時代を築いた彼らも皆30代中盤から後半だ。悲しいことに誰だって歳は取る。俺もあなたもプロ野球選手も浜崎あゆみも平等に老いていく。勘違いしないで欲しいけど、劣化どうこうとか、これでキャリアが終わりなんて野暮なことを言いたいわけじゃない。

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 よくファンはベテランに対して「もう終わってる」と言う。阿部よさらば、山口や内海はもう終わり。あのバンドの全盛期は3枚目のアルバムで終わってるとかさ。それは考えたら凄いことだ。毎年100人以上の新人選手がドラフト会議で指名され、そのほとんどが何の痕跡も残せないままプロの世界から静かに去っていく。歳を取った時、いつの日か「あいつは終わった」とか言われたいよね。だって、始まれないプロ野球選手がほとんどなんだから。

巨人軍「失われた15年」問題

 輝かしい全盛期が終わっても、野球人生は続いていく。だから、阿部は捕手から一塁転向を受け入れたし、内海はエースではなくひとりのローテ投手として再出発。山口鉄も最強セットアッパーから左のワンポイントで生き残りを懸けた。

 もちろんこの現状に悲しさや切なさはある。俺は彼らと同世代としてずっと見て来たし、例えば10代や20代の若い世代でも子どもの頃にテレビで観た情報番組『ズムサタ プロ野球熱ケツ情報』の親しみやすい内海兄さんをきっかけに、巨人に興味を持つようになったファンは数多い。

 いわば今の巨人ファンはチーム成績の低迷だけじゃなく、長い時間を共有したスター選手の衰えと直面しているわけだ。寂しいけど、なんか懐かしいこの感じ。思えば、今世紀に入ってから生え抜きの主力選手が巨人一筋で引退試合までやり遂げるパターンはほとんどない。

 原辰徳が盛大な引退試合をしたのが95年10月8日。斎藤雅樹、槙原寛己、村田真一といった90年代の巨人を支えたベテランたちが、長嶋茂雄監督とともに引退セレモニーに臨んだのは01年9月30日の出来事だ。

 それ以降、巨人の生え抜き主力選手たちは松井秀喜、桑田真澄、上原浩治、高橋尚成といった面々が続々と夢のメジャーリーグへ。川相昌弘は中日で現役続行。仁志敏久はトレード直訴で横浜へ、清水隆行も志願して西武で最後の1年を過ごし、二岡智宏は日本ハムへ移籍。そして高橋由伸は代打で4割近い打率を残しながら突然の引退で監督就任したのは記憶に新しい。

左から上原浩治、松井秀喜、後藤孝志 ©文藝春秋

 全盛期の別れ、キャリア晩年での決別、突然すぎる引退……。気が付けば、あの斎藤や槙原を送り出した01年9月から、もう15年以上が経過しようとしている。