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経産省若手官僚5人が語り合う「私たちが、あのペーパーで伝えたかったこと」#1

131万ダウンロード 賛否両論を巻き起こした異例の「文書」が生まれるまで

2017/07/03
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「閉塞感みたいなものを、若手は感じていたのかもしれませんね」

――縦割り組織の頂点のような官庁で、こうしたトップと直にやりあうプロジェクトは極めて異例だったと思いますが、各所から横断的に人が集まるというのも珍しいのでは?

菊池 そうですね、同じ経産省の若手とはいえ、メンバーの多くは初めて話す方でした。

今村 たしかに新鮮でした。

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上田 省内で部局の枠を越えて、もっとお互いに会話していかないと視野狭窄になってしまうと危機感を持っていましたから、結構理想的なことでした。

須賀 閉塞感みたいなものを、若手は感じていたのかもしれませんね。

上田圭一郎さん(H18入省/33歳 大臣官房秘書課 課長補佐)

――そもそも、みなさんが応募に手を挙げたのはどんな理由からなんですか?

上田 僕はもともとヘルスケア、大学教育、あるいは農業といったあまり“経済産業省っぽくない”分野に関連する仕事をすることが多かったんです。だから、製造業やサービス業など経産省と付き合いの深い分野だけじゃなくもっと幅広く見れば、いろいろやれることはあるんじゃないか、と。それで分野をまたいで勉強したいなという意識がありました。

 あと、司(つかさ)の中で働いていると、どうしても「来年どうしようか」とばかり考えるようになってしまうんです。施策はロングスパンで考えないと世の中の実状からどんどん乖離していく。そういう意味で、さっき言ったように「閉塞感」から脱したかったというのはあると思います。

今村 プロジェクトメンバーの募集がかかったときに、私は入省して2年半くらいだったんですけど、すでに部署を3つほど経験していました。その中で、国としてどんな課題を抱えているかをロングスパンで考えることがないというのは、一行政官として、一国民としてどうなのか、と思っていました。そんな思いがあって手を挙げたんです。

「やりたかったこととやっていることのギャップが大きくなっていって……」

須賀 政策というのは、日々小さな意思決定の積み重ねで、この意思決定が知らず知らずのうちに常識的な範囲内、「このくらいならみんなが合意できるだろう」とか「批判を受けずに収まるだろう」というラインに収まってしまう。それがいま言われている「忖度」なのかもしれなくて、その能力がものすごく高いのが官僚集団だと思っています。

 だけど、これからの日本は「これくらいで合意形成できるだろう」みたいな矮小で無難なものを選んではいられないと思っています。あらゆる面で世界で最も成熟した国になったからには、前例のコピペではない政策を一から考えるスタイルを身につけなければならない。私たちの世代の官僚は特に。

高木 僕はみんなと少し違って、わりと中長期的な議論が主体の部署にいます。新政策担当という部署は、8月の予算取りまとめの時に、省全体の政策をまとめる作業を補佐する立場なんです。そこでは、たとえば東日本大震災から5年以上経って、エネルギー政策はまだ道半ばですが、その一方で地域経済や社会保障など我が国の構造的な課題にも目を配って政策を立案する必要があるのでは、という議論を2、3年前から行っています。

 ただみんなと同じで、官僚としての自分の仕事を問い直したい、というのは僕もありましたね。僕は入省7年目なんですが、入省当時にやりたかったこととやっていることのギャップが大きくなっていって……。これは省庁に限らず大きな組織に属している人は誰でも思うことだと思うんですが、自分の目の前の仕事が国のレベルにどうつながっているのか、深掘りして言葉にしてみたかったんです。

高木聡さん(H23入省/32歳 大臣官房総務課 法令審査専門官)

今村 最近、経産省を志している学生と話してたら、「経産省に入ったらこういうことできるんですね!」とキラキラした目で言われることが増えました。

高木 それ、大丈夫かな(笑)。あくまで異例のプロジェクトだからねえ。

須賀 でもプロジェクトに参加したみんなが「入省前は、霞ヶ関って日々こういうことをしていると勝手に想像してた」なんて笑ってたよね。

上田 そういったどんな組織にもありがちな「閉塞感」からくる不満から脱け出したいって気持ちはみんなに共通していたと思います。

菊池 そうですね。私が入省する前から、経済成長不要論や経産省不要論がしきりに叫ばれていたんです。とはいえ、資源も軍事力もない日本はこれまで経済力があったから繁栄してきたし、国際社会で生き残っていくためにも経済力が必要で、私自身も経済と正面から向き合いたいという思いがあって入省したんです。一方で、「経済力があれば、幸福だ」という時代から変わっている気はしていました。幸福という価値の軸はGDPなどの経済指標からズレてきているんじゃないかとも。そういった課題を同じ経産省の同年代メンバーと議論できて、幸運なプロジェクトでした。