プロデビュー以来、無敗で29連勝中の棋士・藤井聡太。14歳の中学生、おまけに強いもんだから、勝つごとに対局の場につめかける報道陣は増え、世間の注目は増していき、仕舞いには昼食に豚キムチうどんの出前をとれば、同じものがまたたく間に売り切れさえする。

藤井聡太四段、14歳 ©白澤正/文藝春秋

 今週の文春には、そんな藤井聡太に関する特集記事「『100回やっても勝てない』 敗者が語る 藤井聡太四段『ここが凄い』」が掲載。記事に登場する幼稚園時代を知る者によれば、「聡太は幼稚園の時、所司和晴七段(55)の『駒落ち定跡』全四百八十ページをほぼ一年で完全に記憶しました」という。コロコロを読んでも早熟といえる年頃に、コロコロほどではないが結構な分厚さの定跡集を憶えてしまう天才伝説である。

天才と同じ時代に生きる 清原の場合

 また記事では敗者のひとり、都成竜馬四段を取材。21戦目と25戦目の対局相手で、“将棋界一のイケメン”だそうな。記者が小学生名人であった都成に、14歳の時の自分と今の藤井聡太が指すとどうなるかと訊ねると、「百回やっても勝てないんじゃないですか(笑)」と答え、さらにこう続ける。

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《「でもそういう強い棋士と同じ時代に生きて対局出来ることは、とても幸運だと思います」》

 週刊新潮も「我、『藤井聡太』にかく敗北せり」と題して、負けた棋士たちの記事を載せているのだが、敗れた者たちへの取材といえば、昨年夏、PL学園時代の清原和博に甲子園でホームランを打たれた投手たちを訪ね歩いた雑誌記事が話題になった。スポーツ雑誌・Number(908・909・910号)に掲載の「清原和博 13本のホームラン物語」だ。

清原和博 ©文藝春秋

 清原は5度の甲子園で9人の投手から13本のホームランを放つ。最後の2本は高校3年(85年)、夏の甲子園決勝で打ったもの。宇部商業・古谷友宏からであった。

 その夏、宇部商業にはふたりの投手がいた。古谷と田上昌徳である。田上はエースナンバー1をつけながら、PL戦はレフトを守る。調子を落としていたのである。結局、古谷は清原に2本打たれたがそれをその後の糧とし、田上は清原相手に投げることもできず、その後悔を背負ったままでいる。

「打たれた者の心は晴れ、打たれることのなかった者の悔いは、いまだ、あの決勝をさまよっている」。この記事をもとに著された『清原和博への告白』(鈴木忠平著・文藝春秋刊)のほぼ終いにこうある。

 藤井聡太に敗れた棋士も、清原に打たれた投手も、負けたことは悔しいが、時代の怪物を畏怖し、勝負したことを誇りとする、高次の勝負の世界とはそんな感じなのであろうか。