いまから191年前のきょう、1826年7月4日、アメリカ合衆国の第2代大統領のジョン・アダムズと第3代大統領のトマス・ジェファーソンが奇しくも同日に亡くなった。しかもこの日は、アメリカ独立宣言(1776年)から50周年の記念日であった。
両者とも独立革命の指導者であり、独立宣言起草委員会のメンバーだった。独立宣言は、ジェファーソンの書いた草案がもとになっている。初代大統領ジョージ・ワシントンの政権では、アダムズが副大統領、ジェファーソンが国務長官を務めた。
ただし、独立維持と発展方向をめぐり、アダムズとジェファーソンは激しく対立した。ワシントンの後任を決める1796年の大統領選では、中央集権的な連邦主義を代表するアダムズが、自由主義的な州権主義を主張するジェファーソンを下して当選。次点者が副大統領になるという当時の選挙法により、翌年発足したアダムズ政権ではジェファーソンが副大統領に就任する。アダムズは大統領在任中、革命の起こったフランスとの戦争の回避に努めるも、政権内の対立、また政策の不評から、次の1800年の大統領選では、ジェファーソンに敗れた。ジェファーソンは大統領在任中、ルイジアナの購入などの業績を残している。
引退後はふたたびよき友人に戻ったという二人。アダムズの最期の言葉は「トマス・ジェファーソンのほうが生き残る」だった。そのジェファーソンは、7月1日に意識不明となり、その後何度か目を覚ましながらも4日午後1時前に息を引き取った。アダムズは90歳、ジェファーソンは83歳と、いずれもこの時代としては長命だった。