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「ほうじ茶の喉ごしのような、すうーっとした印象」“右傾化”した椎名林檎の素朴すぎる語彙の正体

2020/02/07
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「日本的な」記号を寄せ集めるとどうなるか

コメカ   ただ、そういう記号をサンプリングする態度そのものは、さっきパンスくんが触れた川本真琴みたいな同時代のシンガーソングライターや、その少し前の渋谷系的な人々とは異なるものだった。アメリカやヨーロッパを参照するのではなく、和風なヴィジュアルをサンプリングするという態度そのものは、状況に対するカウンター性やアイロニーを帯びていた、というね。同時期に鳥肌実みたいな存在も登場していて、この頃ちょっとしたひとつの流れがあったとも言えるんだけど。

パンス    輸入文化から、日本のノスタルジーみたいなものにシフトする傾向があった。「新宿系」みたいな形容には、70年代っぽい匂いを醸し出す効果もある。椎名林檎自身もフェイバリットに挙げていたナンバーガールも、それまでのロックにはあまりなかった和風のモチーフを盛んに使用してた。もっとはっきりと過去を志向した例だと、「歌謡」みたいな流れもね。エゴ・ラッピンとか。

『改造への躍動』(ゲルニカ)

「くちばしにチェリー」が主題歌だったドラマ「探偵濱マイク」は「傷だらけの天使」のイメージを衒いなく持ち込んでた。その監督である林海象的なセンスといえばよいのでしょうか、なんとなくノスタルジックなものをサンプリングしてスタイリッシュにまとめました、みたいな表現が一定のカッコ良さを持ってた時期が、90年代後半~2001年くらいに一瞬存在してた。当時僕らが多感な中学生くらいだったので、その雰囲気をありありと思い出すことができる。

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コメカ    「フォーク」的な記号を持ち出してからのサニーデイ・サービスとかね、90年代にも漠然とした「和モノ」志向ってのは復権しつつあったわけだけど、椎名林檎の存在感や商業的成功ってのはそういうサブカル的な流れの中で突出していたからね。ちなみに、椎名林檎のヒットと同時期、似たようなヴィジュアル志向でより病的な表現をやっていたcali≠gariみたいなヴィジュアル系バンドも存在したりする(音楽的にはほぼ接点はありませんが)。

 たださっきも話したように、椎名林檎の日本志向というのは、喪われた「日本的なるもの」への郷愁や反動的回帰ではないと思うんだ。フラットでプレーンな主体が、元来の文脈から切断された「日本的なるもの」の記号だけを寄せ集めた状態。思想的に体系だった右傾化を示しているなら分かりやすいんだけど、問題の本質がそういうところにはないから分かりづらくなっていると思う。