その傾向はヒキタクニオ原作・窪塚洋介主演『凶気の桜』あたりからあったと思う。ただまあ、それもまだまだサブカルっぽいエンタメだった。本当に「政治的に」利用されるのは、ゼロ年代中盤以降、インターネット上での排外主義的言説まで待たなければならない。よりによってさらに過激なイシューに、こともあろうに一部の政治家が飛びついた。ネット上で増幅されたそれらが「支持母体」化していく。
コメカ まあでもそれこそ本書でここまで触れてきたように、70年代以降の日本のサブカルって、歴史や文脈から解放され、記号の戯れの中にうずくまっていたい……みたいな志向を抱えていたわけで。70~80年代頃にはそういう志向の中でまだ共有されていた「屈託」みたいなものが、90年代頃から薄れてきて、椎名林檎あたりでほぼ無くなってしまった……みたいな見立てができると思う。
「歴史から切断された場所に生まれた」世代の登場
コメカ「解放されたいがために歴史を切断した場所を選択した」というわけではない、「あらかじめ歴史から切断された場所に生まれ落ち、生き始めた」世代の登場。そこでは「日本的なるもの」もオモチャにできてしまうぐらい、歴史はもはやあらかじめ意識されるものではなくなってしまってた、というね。
でも、そもそもそんな風に歴史的な記号をオモチャにできるぐらい平和な状況だった戦後日本という空間そのものが、世界的に見ても特異な状況にあったんだろうとは思うけどね。今やそういう幼さ、幼稚さこそが問題になる状況だけども。
パンス 歴史や文脈から解放されることは、実はその後、歴史を修正することを可能にするものだった。ついにその感覚が日本の中枢を担うことになってしまった、というのが現在。それをアシストしていく表現者も、ことオリンピック周辺を眺めればこれからも多く出てくるだろうね。
整理すると、文脈からの解放、記号的な集積をよしとした「平和な時代」が、90年代を極点として存在していた。で、その時代を生きた人々による物語性への回帰が、90年代後半から現出してくる。その時点ではもう、80年代のようにアイロニカルな態度を極める必要はなくなって、物語を作ろうとして周りを眺めたら、選び取れるものは記号しか残っていなかった、という。
(後編「“情念の人”に見えて……スクールカースト問わず支持された、椎名林檎の『空気を読む手腕』」に続く)
※続きは書籍『ポスト・サブカル焼け跡派』で読むことも可能です。