文春オンライン

「ほうじ茶の喉ごしのような、すうーっとした印象」“右傾化”した椎名林檎の素朴すぎる語彙の正体

2020/02/07
note

「すうーっとした印象」“日本”を語るときの素朴な語彙

パンス    X JAPANの項でも触れたように、2000年前後に「リベラルな評論家」が危惧していた右傾化は、「日本っぽい意匠/国家に回帰するような振る舞い」が急速に前面に押し出されていることから示唆されていたわけだけど、椎名林檎自身の「日本志向」は、小林よしのりや「つくる会」に象徴されるような、同時代の新保守による反動的なアクションより、ずっと素朴なものだった。

コメカ    うん。素朴というか、漠然としてるんだよね。「日本的なるもの」への志向はその表現の端々に感じさせるんだけど、具体的にどういう「日本」がそこで想定されているのかが見えてこないし、本人がそれを体系だって表現したり語ったりするわけでもない。

小林よしのり ©文藝春秋

 たとえば、朝日新聞による「媚びないおもてなしを 椎名林檎さんが思う東京五輪」というインタビューで、日本の力の内訳は「例えば私たちが誇れる電車やバスの運行ダイヤの正確さをはじめとする『お待たせしない』精神」である、とか、クールジャパンは海外の人々にとって「ほうじ茶の喉越しや味わいに代表される、日本のすうーっとした、あの印象そのもの」として受け止められているんだ、といった発言をしてるんだけど、「日本」を語るときの語彙が抽象的で、具体性がない。

ADVERTISEMENT

 土地があって地域史があって政治史があって……という具体的な「日本」の歴史への言及を椎名林檎が行っているのをほとんど見たことがない。にもかかわらず、「日本的なるもの」への言及頻度自体は多い……というのは、すごく不思議なことだなあと。

歴史をフラットにすると、新たな物語を代入できてしまう

パンス    要するに、歴史が捨象されちゃってるのが問題なんだよ。それが古いレコードを掘る、とかだったら別に問題ない、というか別途可能性をクローズアップするような試みに成り得たけど、国家に向かったときにどうなるのかという。それまで積み上げられてた歴史がフラットになっちゃうと、新たな物語を代入することが容易になってしまう。穿(うが)った言い方になっちゃうけど、具体性も何もないフォーマットを作っておいて、あとから捏造を含めた「政治利用」が可能になるものを作り出している。本人の意図に関わらず。