“何かをやってやる”という気持ちを神戸で取り戻した
――同じハンブルクが拠点でライバル関係のザンクト・パウリに移籍したら面白かったと思います。
「マジで行こうと思ったんですけど(笑)、それくらいHSVには一瞬憎しみも生まれました。でも、色々考える中で、今後のサッカー人生は、自分が何がしたくて、何を掴み取りたいかって考えるようになったんです。すると、なんの大きな目標もなく単にヨーロッパに残るより、“何かをやってやる”という気持ちを持ってできるのは神戸だなとなりました。“失ってたもの”というのはまさにそこでした。神戸では、誰かのためにということを一旦考えないことにして、まずは自分のため、自分のやりたいことをやりました。そのうちみんなも共感してくれた感じがして、みんなが変わって、自分も変われて……、というのを試合ごとに感じていった。その感覚こそがドイツでの終盤失われていて、ヴィッセルであらためて感じられたものでした」
――とはいえ、長谷部誠選手ら欧州組の選手たちは帰国を止めたのではないですか?
「はい。でも『必要とされるっていうのももちろんそうですけど、自分が一番何がしたいかというところが日本に向かう一番の理由です』と説明しました。ハセさん(長谷部)からは『おれのドイツでの日本人出場記録(長谷部は17年3月に奥寺康彦氏の記録を抜き、ブンデスリーガ出場日本人最多の235試合出場、19年12月18日には300試合出場を達成)とかなにかしらの記録をぬくのは高徳だと思ってたから、結構びっくりだわ』って言われました」
「自分を引き止めてくれた人たちには『もう疲れたんです』と」
――誰かに相談はしたのですか?
「帰国を止めて欲しい自分もいたけど、それ以上にHSVでの出来事がショックだったんですよね。自分を引き止めてくれた人たちには『もう疲れたんです』と伝えました。結局誰かのためにプレーすることがドイツや欧州ではさほど重要ではないんです。日本のファンは本当に優しくしてくれます。ブーイングはするけど、試合に負けたとしても家までおしかけたりしない。また次の試合になったら頑張って応援してくれる。HSVでは2部だった18/19シーズンなんて10時間練習場に閉じ込められたり、『お前ら街中おいかけまわすからな』という横断幕貼られたり……。試合中も負けていると、試合終了間際に一部のファンは黒い目出し帽をかぶりはじめて、『ピッチに降りていくぞ』みたいな雰囲気を出してくるんですよ。もうサッカーとはいえなかった。
でもそんな状況だったから、今ヴィッセルでチームと自分が一緒に成長してるという楽しさ、嬉しさをまた感じられたというのが素直に嬉しくて。天皇杯での優勝も、自分のためにプレーしていたら、必然的にチームとも一体になれて、チームと一緒に優勝できた。これまではいつもチーム優先になっていたけど、自分のやれること、自分の特徴、自分がどういう人間なのかを見せることで、結果的にチームに貢献することができた。『なんかJに戻って高徳変わったよね』って言われたりもしたけど、俺自身は変わってないんです。今までこういうチームの引っ張り方をしてこなかっただけで。これまでと違う観点で自分とチームの関係を見られるようになったというのは、日本に戻ってきての収穫かなと思いますね」
――心が癒されたのですね。
「報われたなと思いました。ドイツで頑張った7年半が、本当に報われました」
撮影/三宅史郎