天皇杯、富士ゼロックススーパーカップを制したヴィッセル神戸で存在感を発揮している酒井高徳。ドイツからJリーグに復帰した28歳の本音に迫るインタビュー。3回目は日本とドイツのチームを知る酒井による組織論「強いチームはしゃべるチーム」。
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Jリーグでプレーするようになって4ヶ月、考え方だけでなく自身のフィジカルにも変化があったのだそうだ。これは残念ながら、良い方向の変化ではない。試合中のプレスのかけ方、ボールの奪い方が変わったからなのだろう、瞬間的なスピード、クイックネスを求められるシーンが減ったのだという。結果的に、そのための筋力が減ってきたことを自覚しており、重点的なトレーニングをオフには行うのだという。日本には帰ってきたが、ドイツで磨かれた感覚も、フィジカルも失いたくはない。いつでも欧州で戦えるレベルをキープしたいと酒井は考えている。
「俺はめちゃめちゃしゃべってるから」
――HSVでの経験をへて、「自分のためにプレーするようになった」と言っていましたが、結局は神戸でもチームをまとめるようになりました。
「それは勝手にメディアがつくりあげた像ですよね(笑)。俺はキャプテンでもないし、チームをまとめてるという感覚ももちろん持っていない。ただ、これはJリーグもそうだし日本代表でも感じるけど、みんな口数が少ないんですよ。練習中や試合中にしゃべらない、そのために、ピンチだったり連携の不安を招いたりしている。俺がまとめている風に見えるのは、めちゃめちゃしゃべってるからだと思います。話したほうが、すっきりするだろうし、それでぶつかってもいいと思うんですよ。
でも、俺は話してるだけでなくて、『今の感じでいい?』って味方に聞いてる時もあるんですよ。特によく左サイドで前後の関係にあった古橋亨梧には『守備の感じどう? 攻撃のパワー残ってる?』って試合中に聞きに行く。『ちょっと重いかな』って言われたら、『もっと前目にポジションとっていいよ。俺少し出て牽制するから』とか。そういう話し合いもあるんです」
――18年ロシアW杯を最後に日本代表を引退されましたが、代表チームも口数は少ないのですか?
「日本代表では、昔の方が言い合ってましたね。とくに2010年の南アW杯のときは、若手がうるさくて、上とも共通理解を持ってよく話し合っていました。上の世代では(田中マルクス)闘莉王さん、(中澤)佑二さんと、楢崎正剛さんとかがすごく話してくれましたね。(試合には出られないが練習をともに行う)サポートメンバーとして参加したあの南アW杯の1ヶ月は一生忘れられないです。ほんと、ピリピリ感と緊張感がすごくて、これが代表なんだと思いました。めちゃめちゃ財産になりました。懐かしいな」