――それもドイツで学んだことですね?
「はい。俺も最初は同じでした。最初は全然ボールを取りきれなかったし、当たられたらすぐ転んだし。でも、あえてぶつかりにいって、ボールを取りに行く感覚をアジャストしていきました。これだと行き過ぎ、これだと行けてない、これだと足先すぎ、これだと体で行き過ぎって、ちょっとずつ。もちろんそういうのって自分で気づいてこそですけど、若い選手には形は一応言ったりしますね。足先でいくなって。激しく行ってるのは分かるから続けて、ただ今度はファウルしないことを意識してみて、とか」
――先輩というよりも、コーチみたいですね。
「どうですかね。俺自身は努力して上がってきた人間だと思うんですけど、誰にでも変わるチャンスはあるし変われると思ってるんです。だからヒントはあげられるならあげたい。ただ俺もそこまで優しいわけじゃないので、取り組みが見えない場合は、なにも言わなくなる。でも、変わろうっていう選手がいたら、アドバイスさせてもらう。そのへんは自己責任だよって思ってます」
――ご自分の体験を踏まえ、若い選手には海外移籍についてどう話されています?
「行けるなら行けって言ってますよ。向こうでは若いということが評価されるから、行くなら早くと言っています」
――天皇杯の優勝は、ご自身のキャリアでも初のタイトルでしたね。試合後、メダルをわざわざジャージの上にかけてきたのがとっても印象的でした。
「もうね、嬉しすぎて(笑)。僕は、報われたって言いましたけど、HSVでの悲しい出来事があったり自分がどういうサッカー人生を歩んだらいいんだろうって葛藤したなかで、そんな思いを一気に晴らしてくれる優勝でした。移籍してきてよかったと、まわりにも自分にも証明になるし、子供達にひとつ自慢できるものができました。『パパ忙しかったけど優勝したよ』って言える。
ただ、全てはここから。天皇杯勝ったけど、Jリーグはダメでは意味がないです。関係者もファンも、ACLもJもタイトルを、と言い始めてますけどまだ早いです。僕たちはまだまだ未完成で、これからも神戸がやることはコツコツ一つずつ、なんです。アンドレスが大きな目標を口にするのは良いんですよ。もうなんでも獲得してきた選手だから。でも俺らはしっかりJリーグも、ルヴァン杯も天皇杯も、ACLも全力を出し切る。全力を出し切ることが当たり前にできるようになって、初めて優勝を口にできると思います。勘違いしないようにキャンプから周りにも言っていきたいですね」
撮影協力:LP BASE(酒井高徳が東京でトレーニングしている施設)
撮影/三宅史郎