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“クズ”だった私が哲学者になるまで――哲学者・萱野稔人インタビュー #1

「カネと暴力」の哲学者が語るフリーター時代とパリ留学

パリで遭遇した9.11

――修士論文は何で書かれたんですか。

萱野 スピノザです。決めた時は読んだことなかったけど。哲学科に行くと決めたら、師事する先生を決めるんですが、若い世代でエティエンヌ・バリバールという有名な人がいて。彼の仕事の中にスピノザがあったので「スピノザでいっか」と思って、安易に行きました。上の世代の著名な学者はもう大学にいなかったんですよ。僕がフランスに行ったのは95年でしたが、その11月にドゥルーズは自殺していますし。

――95年というと、日本ではオウム事件、阪神淡路大震災がありました。衝撃を受けたりしましたか。

 

萱野 まだその時は日本にいましたし覚えていますが、衝撃を受けたということは正直あまりなかったですね。よく95年は戦後史の転換点と言われますが、当時は家にテレビもなかったし、反社会的な人間というか、社会に背を向けて生きていたんです。

――フランスにはトータルで8年いらっしゃいますが、その間、2001年には9.11がありましたよね。

萱野 それにはすごく衝撃を受けました。その頃は博士課程にいた頃だったので、社会に対する意識も高まっていて。正直、目の前の論文を書くのに精一杯ではありましたが、「革命って何だろう」と考えたりしましたね。当時、90年代終わりから2000年代初めのフランスは、大統領選挙でル・ペン候補が決選投票に残ったり、不法移民の建物占拠運動があったりして、激動の時代でした。哲学の中では左翼界の論壇が盛り上がっていて、左翼運動やデモによく参加しました。何が世の中で起こっているのかを見られて面白かったですし、フランス人って言いたいことがあればまずは行動するんだ、と実感しました。その頃にナショナリズム、国家、権力の問題を考えていました。

勝手に意味がついた“萱野三平”というペンネーム

――論壇デビューは『現代思想』ですよね。

萱野 はい、28歳の頃でフランス留学中ですね。大学の先輩で酒井隆史さんという方がいらして、今は大阪府立大学で社会学の先生をやられているんですが、彼は僕が学部の頃から思想界隈で有名な人でした。彼は既に『現代思想』に書かれていて、僕のことを当時その編集長だった池上嘉彦さんという方に話してくれて。「やってみない?」というカジュアルな感じで書かせていただきました。

『現代思想』に「萱野三平」のペンネームで寄稿したナショナリズム論(左)

――あの憧れの『現代思想』に。

萱野 ええ、分からなくて憧れていた『現代思想』に(笑)。大学生だった時の『現代思想』のイメージは雲の上の存在だったので、嬉しかったですね。

――『現代思想』ではペンネームを使っていらしたとか。

萱野 萱野三平としていました。赤穂浪士にその名前がいて、そこからとったんですが、あんまり意味はないんですよ(笑)。ただどこかで、三平の「サン」はフランス語で「sans」、「無い」という意味で、「ペイ」は「pays」で「国」という意味だから、「国を超えた人間」として「サンペイ」にしたんだろ、とか言われまして。勝手に意味が発生してしまいました(笑)。

#2に続く)

 

写真=榎本麻美/文藝春秋

かやの・としひと/1970年、愛知県生まれ。パリ第十大学大学院哲学科博士課程修了。専門は哲学、社会理論。津田塾大学教授として大学で教鞭をとる一方、コメンテーターとしてテレビやラジオでも活躍。主な著書に『国家とはなにか』『暴力と富と資本主義 なぜ国家はグローバル化が進んでも消滅しないのか』がある。

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