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“クズ”だった私が哲学者になるまで――哲学者・萱野稔人インタビュー #1

「カネと暴力」の哲学者が語るフリーター時代とパリ留学

山谷の越冬闘争で「国家権力ってこういうものか」と実感

 

――大学では天皇についてどんな議論がされていたんですか?

萱野 まあ有名ですけど、ロラン・バルトの「空虚な中心」論を援用しての社会分析とかですかね。バルトが『記号の国』という本の中で「天皇制とは空虚な中心だ」と論じてるんですよ。バルトが来日した頃にはまだ皇居を見下ろすような建物を作ってはいけないという空気が社会的にあって、皇居周辺には高い建物がなかったんですね。そのことに対してバルトが、日本は戦後ものすごい復興を遂げて先進都市の1つになったのに、真ん中だけが空白になっていると指摘したんです。これは都市論なんかにも影響を与えるわけですけど。そういったポストモダンの理論を使って今の日本社会を分析する、ということがアカデミックな世界で議論されていました。そんな空気の中で、僕も現代思想、そしてそれを使った現代社会の分析に興味を持ちました。

――大学ではサークル活動など何かされていたんですか。

 

萱野 ジャズのサークルに少し入っていましたが、続かなかったですね。あと、ちょっとこれは暗部なんですけど……、先輩に誘われて学生運動に行ったこともありました。例えば、長崎の本島等市長が右翼に撃たれるという事件があったんですが、その時は「表現の自由を守れ」とかいって、詩人を目指している学生が、詩が書かれた紙の入った瓶を投げるというパフォーマンスをしてて。そしたらその瓶が敵方の立て看に当たって、大変な騒ぎになったりするのを見ました。あとは、これも誘われてなんですが、山谷の越冬闘争に行ったこともありました。当時はまだ昭和の空気が残っていて、「労働者解放」「天皇制解体」とか書いてある横断幕がぶら下がっていたりしたんです。運動は激しかったので、機動隊とデモ隊の衝突も目の当たりにして、「国家権力ってこういうものか」と実感しました。私は主体的に関わっていたわけではなく、周りの人間関係に流されてその場にいた感じでしたが、暴力、国家、政府、権力といった問題に興味を持つきっかけにはなっていると思います。

――暴力を間近で見ることはなかなかないですもんね。

萱野 ええ、でも僕の原風景にもそういった記憶はあるかもしれない。地元の愛知県の岡崎は結構田舎で、僕が住んでいた頃はまだまだ貧しい地域だったんですね。小学校の同級生で空き地に建てた掘っ立て小屋みたいなところに住んでいる子もいて。家に入って、そのお父さんが出てきたら腕がなかったりとか。その友達は中学を出てやくざになりましたが。そういった暴力の風景みたいなものが記憶の中になんとなく残っていたことも背景にあるのかもしれないです。