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“クズ”だった私が哲学者になるまで――哲学者・萱野稔人インタビュー #1

「カネと暴力」の哲学者が語るフリーター時代とパリ留学

「わからなさ」にありがたみがあった時代

――萱野さんが学生の頃は、どんな思想家や研究者の本が読まれていたんですか。

萱野 フーコー、デリダ、ドゥルーズ。この3人は特にビッグネームでしたね。日本だと蓮實重彥さん、柄谷行人さん、浅田彰さんの3人はスターでした。周りの皆が読んでいたので読みましたけど、「なんだこれは」みたいな感じで全然分からなかったですね。その「わからなさ」にありがたみがあったんですけど。『現代思想』も当時はすごく売れていて読んでみましたが、目次や特集を見て「こういう言葉が流行っているのか」程度でした。とりあえず話題になったものは「読め」と言われて読んだ感じで。今村仁司さん、網野善彦さん、中村雄二郎さん、山口昌男さんとか読んでいました。あとはマルクスの勉強会に参加してみたりもしましたが、何かをしっかり理解することもなく卒業しました。学部の授業とかではなく、その外側で、最初の哲学的な洗礼は受けましたね。

 

――卒業論文は何だったんですか。

萱野 和辻哲郎についてです。90年代は天皇の代替わりを経て、戦争責任の問題、歴史問題が議論される中、ナショナリズム批判が流行っていました。私もその流行に影響されて書きました。

フリーターから一気にパリ留学

――卒業されてからパリに留学されますが、その間に空白期間がありますよね?

萱野 フリーターだったんです……。就職活動も全くせずに、バイトをしていました。当時は「バブルが終わっちゃったな」程度の感じで、その後不況が続くとは思っていなかったんです。でもやっぱりバイトばかりやっていると息が詰まりまして。1年くらいそんな生活をして、ちょっと真面目に将来のことを考えて。大学院にでも進学しようか、と思ったんですよね。でも日本で試験受けるのは面倒くさいから、留学でもすれば箔が付くしいいかななんて。クズだったんですよ(笑)。1日中バイトしていたので全然勉強したり本を読んだりということもしていなくて。フランスに行くにも何かはっきりとした目的を持っていたわけではなく、研究者になろうとも考えていなかったです。とりあえず大学院に行って、修士終わったら就活しようかなとか漠然としていました。

 

――その漠然とした思いは、パリに行ってから変わりましたか?

萱野 そうですね、最初は語学学校に行っていたので、その間に何を研究しようかと考えて。フランスで興味がある分野、ポストモダン、フランス現代思想はどこでやれるのかなと調べていたら、どうやら哲学科らしいと分かってそこに進みました。これは日本との違いを感じた最初の点だったんですが、当時の日本では現代思想は哲学の文脈で読まれていなかったんです。柄谷行人さんは文芸批評の人、浅田彰さんは経済学の人でしたし、哲学専門の人が現代思想をやっていなかった。哲学を批判する中でフーコーやデリダが出てきたので、現代思想は哲学というイメージがなかったんです。日本で哲学と言えば過去の学問みたいに言われていましたから。その頃から、日本で理解されているフランス現代思想ってでたらめだなと思うようになりましたね。