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不寛容社会を生きるために必要なこと

「おたがいさま」から遠く離れて

2017/07/13
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人の親となったり、健康を害してみて初めて分かること

 そして、元喫煙者であるからこそ、子育て経験をしているからこそ、初めて知ることはとても多いのです。まだ駅のホームに灰皿があったころ、タバコゾーンが混んでるから枠をはみ出てタバコを吸ってたら注意されて、マジ切れしていた大学生が私です。いま思うと本当に申し訳ないことをしました。子供がいないころは、電車の中で赤ちゃんが泣いているとうるせえなと思ったりもしましたが、泣き止まない子供を抱っこして滝のような汗をかきながら泣き止ませようとあやす経験をすると、ベビーカーでギャン泣きをしている赤ちゃんの前であたふたしているお母さんを見ると優しい気分になれます。

 確かに世の中の「これは駄目だ」は時代の移り変わりでかなり変わるし、常識も常に動いているのでしょう。逆に昔は許されたけどいまは駄目だ、以前は禁忌だったけど現在は問題ないということは多数あります。いまの世はコンプライアンスであり、かなり息苦しく感じるような事例も多くなりました。

 一方で、人の親となったり、健康を害してみて初めて分かることというのも多々あります。穏やかに暮らす、というのは他人に対する寛容を、自分の経験や知識から広げていく弛まない精神の成長ということなのだ、と実感とともに理解できるまで、随分時間がかかったと思います。繁華街でゲロを吐いているサラリーマンに優しい気持ちになれるのも、ネットでやさぐれている馬鹿どもの戯言を聞き流せるのも、どれもゲロを吐いてきて、ネットで暴れてきた経験があるからであって、タバコと酒をやめ、育児と介護で奔走してみて初めて「ああ。人生とはこういうものなのか」となんとなーーく分かるようになった、ってことなのかもしれません。

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©iStock.com

 裏を返せば、不寛容に世の中をあーだこーだ言うのもまた人生であり、そういうたくさんの人生が積み重なって社会なのだ、と思うようになると、たとえ電車の中で足をハイヒールで踏まれても人間優しくなれるのです。

 あのババア、いい歳してハイヒールなんか履いて、人の足踏んで謝りもしねえで降りやがって。

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