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「これだけは絶対に書いてやる!」

 そんな信念も専門もなかった私が、1年前に“がん”になった。

 その時、「これだけは絶対に書いてやる!」と、私の中に穴窯が出現。ボッと火が灯った。

 とはいえ、「同じAYA世代の患者に勇気を持ってほしい」とか、「がんの早期発見を呼びかけたい」などという志は皆無で、書くことで自分を茶化さなければ、怖すぎていても立ってもいられないという、非常に身勝手な理由からだった。

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©iStock.com

 しかも体験を原稿にするならすべてを公開しようと思ったので、家族の話、夫婦の話も盛り込もうと思っていた。写真もガンガン使うつもりで。

 いつ打ち明けたのか定かではないが、病気がわかってわりとすぐ、夫に「書こうと思う」と告げた。

 すると、それまでずっとしょんぼりしたりしていた夫の目にみるみる力がみなぎるのがわかった。「言えなかったけど、実は俺もそう思ってた」と、すごく嬉しそうに言ってくれた。「書く」と言った私をとても誇らしく思っていることが伝わってきて、本気でじーんときてしまった。

 彼はその後も「危険だからやめろ」とか、「治療に専念したほうがいい」とは決して言わなかった。抗がん剤を打った翌日、下痢が止まらない中、大人用おむつを穿いて取材に行った時はさすがに呆れていたが、やっぱり止めなかった。

夫が薪をくべ続け、穴窯は静かに燃え続けている

成田山大阪別院で開かれた節分祭で、豆をまく「スカーレット」の戸田恵梨香(左から2人目)ら ©共同通信社

 そうして私はがんの原稿を何本か書いた。とはいえ喜美子のように有名になったわけでもなく、売れっ子ライターになったわけでもない。でも、穴窯は静かに燃え続けている。

 火が灯り続けているのは、あの手この手で薪をくべ続けてくれる夫のおかげだ。今この原稿を書いている後ろでは、子供と一緒にプラレールをしてくれている。

 今後、夫に穴窯が出現した時、私は火の番をできるだろうか。昨日も、ワードしか使わないのにハイスペックなiMacをほしがる彼にキレてしまったばかりだ。

 それとも、互いに売れていないからうまくいっているだけだろうか。夫に尋ねてみると、「俺は一文字も打ちたくないから、君が売れてくれていいよ」という答えが返ってきたのだった。