いまから40年前のきょう、1977(昭和52)年7月14日午後7時39分(日本時間)、宇宙開発事業団(NASDA。現在のJAXAの前身のひとつ)による初の静止気象衛星が米フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられた。打ち上げ後、「ひまわり」と名づけられたこの衛星は、東経140度の赤道上空3万6000キロで地球の静止軌道(衛星が地球の自転と同じ速度で周回し、地上からは静止した状態に見える軌道)に乗り、同年9月8日には雲画像の観測データの送信を開始、翌78年4月6日より本格的な観測を開始した。
NASDAは「ひまわり」以前に、1975年9月9日に技術試験衛星「きく」、76年2月29日に電離層観測衛星「うめ」、77年2月23日には日本初の静止衛星となる「きく2号」をそれぞれ鹿児島県の種子島宇宙センターから打ち上げていた。しかし「ひまわり」は、製造開発を日本の電機メーカー(日本電気)を通して米国のヒューズ社(現ボーイングサテライトシステムズ社)に委託しており、打ち上げにも米国のデルタ2914型ロケットが用いられた。デルタロケットの技術は、70~80年代にNASDAが開発したN-1ロケットとN-2ロケットにも導入され、国産液体ロケット開発への道を拓くことになる。
当時のNASDA理事長は、かつて国鉄(現JR)の技師長として東海道新幹線を実現した島秀雄である。島は園芸が趣味だったことから、自分の理事長在任中に打ち上げる衛星には、花の名前をつけるよう指示していたという(古川武彦『気象庁物語――天気予報から地震・津波・火山まで』中公新書)。空の様子を見つめる衛星の名前に、太陽に向けて花を咲かせるヒマワリはぴったりだと、関係者にも好評をもって受け入れられた。
「ひまわり1号」はその後、1981年8月に打ち上げられた「ひまわり2号」の運用開始にともない待機衛星となり、2号の不具合から84年1月より、8月の「ひまわり3号」打ち上げまでのあいだ再度運用される。完全に役割を終えたのは、「ひまわり4号」打ち上げ直前の89(平成元)年6月のことだった。現在は2014年に打ち上げられた「ひまわり8号」が運用中である。