いまから90年前のきょう、1927年5月21日、単葉機「スピリット・オブ・セントルイス号」で大西洋無着陸横断飛行に挑んだアメリカの郵便飛行士チャールズ・リンドバーグ(25歳)は、この日夜10時24分(フランス時間)、パリのル・ブルジェ飛行場に降り立った。前日にニューヨーク郊外のルーズベルト飛行場を飛び立ってから33時間30分をかけての快挙であった。
ただし、リンドバーグは、飛行機による大西洋無着陸横断の最初の成功者ではない。すでに1919年には、オールコックとブラウンという2人の飛行家が、カナダのニューファンドランド島からアイルランドへ無着陸で飛んでいた。「リンドバーグの飛行の目新しさはただ、ニューファウンドランドから飛び立つかわりに、ニューヨークからパリへという経路をたどったこと、正確に目的地に達したこと、そして彼がたった一人だったということだけである」(F.L.アレン『オンリー・イエスタデイ―一九二〇年代・アメリカ―』藤久ミネ訳、筑摩書房)。
しかし「たった一人」での挑戦だったからこそリンドバーグは英雄となった。離陸が伝えられると、ニューヨークのヤンキースタジアムに特設されたボクシングの試合場では、場内アナウンサーの呼びかけで4万人の観衆がリンドバーグのため祈りを捧げた。パリでも、待ちかまえていた群集が、着陸直後のスピリット・オブ・セントルイス号に殺到する。機内をのぞきこむ人々にリンドバーグはまず「ここに整備士はいませんか?」と訊ねたという(A.スコット・バーグ『リンドバーグ――空から来た男(上)』広瀬順弘訳、角川文庫)。
リンドバーグの成功を伝えるアメリカの新聞各紙は軒並み売り上げを伸ばした。彼の帰国にあたっては、当時の米大統領クーリッジが海軍の巡洋艦を差し向けている。帰国後にはワシントンやニューヨークなど全米各地でパレードが行なわれ、数百万人もの人々が若き英雄を迎えた。ニューヨークのパレードで舞った紙吹雪は1800トンにおよんだと伝えられる。なお、ニューヨークではその後も、アメリカ最初の地球周回飛行(1962年)や人類初の月面着陸(1969年)に成功した宇宙飛行士らによるパレードが行なわれたが、紙吹雪の量だけでいえば、いまだにリンドバーグを超えた例はない。