「文春砲」に興味なし

 あくまでも個人的な好き嫌いの話として聞いていただきたい。

 週刊文春お得意の「文春砲」、これが嫌いである。正確に言えば、嫌いというより興味関心がない。週刊文春を買って読むということは滅多にない。

 なぜ関心がないかというと、ひとつには取り沙汰されている人物の多くを僕が知らないからである。「○○が未成年に淫行!」「××が不倫の泥沼!」というような見出しが電車の吊広告に出ている。○○や××は芸能人や政治家であることが多いのだが、ほとんどが僕にとって見たことも聞いたこともない人々だ。

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 テレビというものを観ないので、○○が当代きっての有名タレントであっても、イメージがわかない。××が政治家の場合、こういう記事に出てくる政治家は大したタマでないことが多く、どんな人だかわからない(「安倍首相が不倫の泥沼!」だったら、ちょっと読んでみたい気もするが)。

 仮に「戸倉隆が未成年に淫行!」「松山和男が不倫の泥沼!」という言葉が吊広告に躍っていたとする。こうした記事をカネを払って読みたいという人はいるだろうか。

 ご存知ない方もいるだろうから念のために申し添えておくと、戸倉隆氏は僕のバンド仲間のギタリストで、松山和男氏は僕の所属するバンド、Bluedogsのドラマーである。もちろん仮の話であって、戸倉氏は未成年に淫行したことはない(と思う)し、松山氏は何があっても不倫などしないタイプだ。何が言いたいのかというと、これとまったく同じ理由で、僕は文春のスクープ記事に興味を持てない。

©文藝春秋

どうでもいい

 もうひとつの理由はさらに強固である。文春砲は不倫だ淫行だ泥沼だと書きたてるのだけれど、僕に言わせれば「そんなこと、どうだっていいじゃねえか……」なのである。

 たとえば、しばらく前の話になるが、ベッキー氏をめぐる騒動。僕が例外的にこの件に関心を持ったのは、彼女の家(ご実家)が僕の自宅から徒歩15秒圏内にあるからである。テレビでベッキー氏を観たことはないが、近所の小さな女の子が後にテレビの人気者になったということは知っていた。

 文春の記事そのものは読んでいないが、インターネットで流れてくるニュースを見ると、「そんなこと、どうだっていいじゃねえか……」というような話ばかり。人気者の有名税といえばそれまでだが、別に犯罪をしたわけでなし、こんな私的なことをやいのやいの言われるベッキー氏が実に気の毒であった。

 ただ、あえてベッキー氏サイドに苦言を呈せば、「センテンス・スプリング」、これは言葉遊びとしてちょいとセンスが悪いと思う。春がスプリングなのはいいとしても、文のほうはセンテンスよりもリテラチャーにしてほしかった。文藝春秋創業者の菊池寛の精神を汲めば、「リテラチャー・スプリング」のほうがしっくりくる。いずれにせよ、その程度の「どうでもいい話」である。