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私は「文春砲」が嫌いだ

楠木建の「好き」と「嫌い」  好き:「週刊文春」の商売姿勢  嫌い:文春砲

2017/07/18

週刊文春のしぶとさ

 雑誌というメディアが今後とも衰退基調にあるのは間違いない。しかし、文春砲を中核とする週刊文春はわりとシブトイのではないかというのが僕の考えである。その理由は、提供しているものがファクトにおいてリッチな文字コンテンツだということにある。

 同じ週刊誌でも週刊ポストや週刊現代は低調だと聞く。いずれもエンターテイメントだが、提供するエンターテイメントのジャンルが文春とは異なる。ここに低調の原因があると思う。

 一時期隆盛を誇ったポストや現代は、主として男性読者向けに「カネ・出世・女」を機軸としたエンターテイメントを売ってきた(広告で見る限り、最近はこれに「健康」を絡めることが多くなっている。例えば「死ぬまでセックス」とか。この辺に読者の高齢化を感じてしみじみとする)。

 これはこれで今も昔もこれからも変わらない人間の本性直撃のコンテンツであり、文春にしてもカネ・出世(とその鏡としての凋落)・女は得意中の得意なのだが、いかんせんポストや現代は独自取材によるファクトが薄い。売りは「袋とじグラビア」(誰が考えたのか知らないが、インターネットの登場以来の情報の流通コストの低下に対抗する、実にストレートで清々しい打ち手)のような、文字や文章に依存しない情報となる。これが悪循環をもたらす。女性のおっぱいを見るのであれば、インターネットの方がずっと便利だ。ますます雑誌はネットに代替されてしまう。

 一時は雑誌の主流の一角を占めていた写真週刊誌がほとんど廃刊になったのも、同じ理由だろう。商品価値の中心にあったのは、文字通りの「写真」。単に画像をさばくのであれば、インターネット・メディアにかなうわけがない。

 手間隙をかけた取材で集めたファクトに基づく文章で面白がらせる。ここに週刊文春の強みがある。『「週刊文春」編集長の仕事術』を読んで知ったのだが、一口に取材といっても、その背後には、情報源を探し、コンタクトをし、信頼してもらえる関係をつくり……、と長々としたプロセスがある。最終的に提供する価値はどうしようもないほどエンターテイメントなのだが、そこに至るプロセスはやたらに手が込んでいる。

©iStock.com

「価値においてはシンプル、プロセスにおいては複雑」、これが儲かる商売の原理原則のひとつである。その典型はトヨタである。「ハイブリッドで燃費がよい」「壊れない」というシンプルな価値をつくる裏には、トヨタ生産方式という複雑極まりないプロセスが横たわっている。だから競合他社は容易に模倣できない。だからトヨタのクルマは独自の価値を維持できる。これが積もり積もってブランドとなる。まるで業界は異なるが、週刊文春のやっていることはそれに近い。

 打つ球がはっきり見えていないとフルスイングはできない。新谷氏がフルスイングできるのは、ようするに誰に何を売っているのか、戦略のコンセプトを明確に定義しているからである。狙うのはエンターテイメントとしての人間ドラマの面白さ(だけ)であり、啓蒙やジャーナリズムではない。フルスイングという比喩にかぶせて言えば、巷によくある文春砲への批判は、野球をしている人に「ドリブルがなっていない!」というようなものだ。

 コンテンツにユニークな価値があれば、ネットやスマホやAIがどうなろうと商売として成立する。商品が価値を喪失すれば、市場がきれいさっぱりと淘汰してくれる。商売とはそういうものである。

 外野の声を気にすることなく、週刊文春はこれからもブンブンとバットを振り回して、文春砲を飛ばし続けていただきたい。それでも僕は読まないが。

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