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私は「文春砲」が嫌いだ

楠木建の「好き」と「嫌い」  好き:「週刊文春」の商売姿勢  嫌い:文春砲

2017/07/18

ジャーナリズムではない

 しかし、である。だからといって「週刊文春はケシカラン!」とか「ジャーナリズムの風上にも置けない!」とか言うつもりは毛頭ない。

 こういう人は根本的なところで勘違いをしている。週刊文春はジャーナリズムではない。エンターテイメントである。テレビやラジオやインターネットで流れてくる歌舞音曲やスポーツ、その他もろもろの娯楽コンテンツと同じエンターテイメント。それが週刊誌というメディアにパッケージされた文字情報という形をとっているに過ぎない。そもそもジャーナリズムではないのだから、ジャーナリズムの風上にも置けないのは自明の理だ。風上には置かない方がいい。

 週刊誌は商業出版のど真ん中。だとすればフツーに暮らしている人に向けて娯楽、あっさりいえば「憂さ晴らし」を提供しようとするのは自然の成り行きである。

 文春砲がぶっ放すスキャンダルやスクープは週刊誌エンターテイメントのど真ん中だ。有名人の滑った転んだを面白がる。これは人間の本性であり、古今東西不変にして普遍の太く硬い需要である。エンターテイメントとしての週刊文春が太い需要に向けて文春砲を連発するのは是非にあらず。当然にして当たり前の話だ。

 週刊文春をジャーナリズムと勘違いして声高に正論を叫ぶ人々は、AKB48を観て、「ちゃらちゃら歌って踊っているだけで、あんなのは芸術じゃない!」と言っているに等しい。そもそも芸術ではないのである。やっているほうもひたすらエンターテイメントを提供しようとしているのであって、芸術だと思ってやっているわけではない。

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 僕は週刊文春を読まないし、AKB48も観ない。興味がない。もちろんフツーの人として、僕もエンターテイメントを必要としている。しかし、エンターテイメントとしては、文春砲やAKBよりも東映の任侠映画の方がずっとイイ。とりわけ「緋牡丹博徒」シリーズが大スキである。藤純子(富司純子)が演じる「緋牡丹のお竜」には痺れにシビれる。文春オンラインに掲載されている「春日太一の木曜邦画劇場」もお気に入りである。おかげさまで東映作品への食欲が増進する。

 言うまでもないが、これはエンターテイメントについての僕の好き嫌いであって、普遍的な良し悪しではない。文春砲が嫌いだったり関心がないのであれば、見たり読んだりしなければいいだけの話である。

 にもかかわらず、文春砲に「ケシカラン!」と言う。結局のところ、こういう人は週刊文春を読んでいるのである。スキャンダルにはそれだけ人間の本性を直撃する力がある。

 僕にしても、知らないタレントやチンピラ政治家の不倫スキャンダルは「別にどうだっていいじゃねえか……」でスルーするけれども、しばらく前の小沢一郎氏のスキャンダルは面白かった。若いころからあれだけ豪腕を振るった海千山千の黒光りした政治家がああいうヘンテコなことをする。それが面白い。

 週刊文春が文春砲で提供しているエンターテイメントは、ジャンルで言えば「ノンフィクションの人間ドラマ」である。人間のおかしさや愚かさや哀しさや醜さや不思議さをストレートに抉り出す。ここまでは小説や映画と同じなのだが、文春はファクトでこれをやる。しかも歴史書と異なって、同時代のファクトである。で、抉り出して終わり。話が短い。人の世である限り、文春砲の種は尽きない。さっさと次に行く。考察を深めたり、そこから骨太の教訓を引き出すようなことは決してしない。徹頭徹尾エンターテイメントだからだ。