あれは2月11日に虚血性心不全で死去した野村克也氏が楽天の監督を退任した直後、2009年の年末だった。私は野村氏と息子の克則氏(現楽天作戦コーチ)との対談の司会を務めるという幸運に恵まれ、「週刊朝日」誌に寄稿した。
その日、野村氏は沙知代夫人(故人)を伴い、約束の30分も前に姿を現した。どうも落ち着きがなくソワソワしている様子で、トイレからなかなか帰って来なかったのは決して加齢だけが理由ではなかったはずだ。
「息子と対談するなんて初めてのことでしてね。克則は両親に似ず、処世術に長けている。両親を反面教師にして育った典型的なタイプなんだ」
野村氏は3歳で実父を亡くし、父親との記憶がまるでなく顔も覚えていないという。
「だから私には父親像というものがない。友人たちに相談しながら、試行錯誤しながら、自分なりの父親像をもった。唯一できることは、家族に安住の場を与えて苦労させないこと。私はどうしようもない貧乏をして育ったから、それが父親の基本的な義務だと思ってきた」
克則氏が現れ、対談を始めると、沙知代夫人は部屋を飛び出した。父子の会話に、自分がいたら口を挟んでしまうし、父子が本音で語り合うことはできない。それを察し、阿吽の呼吸で部屋を出たのだ。
ぼやくことで、息子に照れ隠し
しばらくは克則氏が幼少だった頃の思い出話に花が咲いた。父親は家を空けることが多く、躾役は沙知代夫人が担った。息子は母親から「殴られてばかり」(本人談)で、その反面、父親からは鉄拳制裁など一度もなかった。
克則氏は、母親から気の短さを受け継ぎ、一方で父親からは気の優しさを受け継いだと話した。
それを野村氏は黙って頷いていた。こうした仕事でなければ、息子とじっくり話すこともないのかもしれない。「お前のことは皆様から褒めてもらえるが、肝心の親への感謝の気持ちが足りないんだ」。そうぼやくことで、照れを隠そうともした。