2019年3月、テキーラ等を大量に飲まされ、酩酊させられた状態で姦淫された準強姦事件について、福岡地方裁判所久留米支部で無罪が言い渡された。

 準強姦罪の成立には「抗拒不能」であることが必要である。「抗拒不能」という言葉は見慣れないと思うが、身体的心理的な理由で、抵抗したり拒否したりできない状態をイメージしていただきたい。それに加えて、被告人に、「被害者の抗拒不能を認識していること」「被害者の承諾がないことの認識」が必要であり、この認識がなければ、故意が否定されて無罪となる。

 地裁は、女性が「抗拒不能」であったことは認めたが、被告人は「女性が抗拒不能であったことの認識がなく、性交について承諾ありと誤信した」ため、故意を否定し、無罪判決となった。

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 2020年2月5日、この事件についての高等裁判所の判断がなされた。結果は逆転有罪。懲役4年の実刑判決だった。

福岡高裁外観 ©時事通信社

 報道を見る限り、控訴審では、新たな証拠は取り調べられていない。

 原審と控訴審は、同じ証拠を見ているのに、なぜ、全く反対の結論が出るのだろうか。裁判における事実認定の在り方を説明しよう。

(準強姦罪は、2017年7月刑法改正によって、準強制性交等罪に名称が変更され、男性も被害者となり得ることとなったが、この事件は、改正前に起こったため、旧刑法が適用されている。この記事では、全て準強姦罪と表記し全ての被害者を女性と想定する。)

裁判での「事実認定」のカギとなる「経験則」

 裁判所は、証拠から「経験則」に基づいて事実認定をし、法規に当てはめる。つまり、事実認定に用いる「経験則」が異なると、同じ証拠を検討しても、認定される「事実」が変わる。結論が変わる理由は、「経験則」が異なることにある。

 しかも、多くの裁判では、証拠から事実を認定した上で、事実から事実を認定する。つまり、事実認定が二段階にわたって行われる。このため「経験則」が二段階にわたって働く。

 準強姦罪のうち「抗拒不能」それ自体が問題となる事案を想定し、例にとって解説してみよう。

「被害者が飲酒した店のレシート」「店の入っている建物の防犯カメラの画像」「レシートに印字された時刻」という証拠から、経験則を基に「姦淫される前に、被害者が日本酒を1升飲んでいた」「被害者の入店から出店までの時間は2時間である」「姦淫される時刻の10分前に、被害者は、店の入った建物を、壁に寄りかかって出て行った。被害者の身体は、大きく前後左右に揺れていた」という生の具体的事実が認定されたとする。

©iStock.com

 裁判では、生の具体的事実から、「抗拒不能」という事実を認定する段階でも「経験則」が働く。このくらい極端な事例を想定すると、生の具体的事実(日本酒を1升飲んでいた、入店から出店までの時間は2時間など)から、「抗拒不能」という事実を導くことに、個人差は出ないであろう。

 では、被害者の飲酒の量が、ビールをコップ3杯であり、店を出た時刻から、姦淫までに1時間あった場合はどうであろうか。「抗拒不能」かどうかの印象は、読者によって分かれるのではなかろうか。