別に「お前らとは違う」と上から目線で言いたいんじゃなくて
人にはいろんな趣味があるし、人生の使い方というものがあるからね。私に関して言えば、映画を観ている人の数千倍はシミュレーションゲームをしているし、『信長の野望』なら各シリーズほとんど極めるほどやり込んでいます。あるいは、プロ野球の試合は恐らく誰よりもチェックしてるし、好きな分野で語りたいことはたくさんあります。でもそれって需要ないのも知ってます。例えば「私がやっている『信長の野望』では新シリーズの筒井順慶がイマイチしっくりこなくて」とか話題振られたらみんな困るでしょう。「やっぱり『ハーツオブアイアン』はマス目が細やかになりすぎてフィンランドでプレイしていると冬戦争イベントで攻め込んでくるソビエト連邦相手に戦線が維持できなくてクソゲーになってきてますね」とか力説しても、誰も振り向いてくれないと思うんですよ。大好きな初芝清の記事だって、どうしたら喜んで読んでもらえるか考えて、頑張って工夫しているんです。
で、私がゲーム好きだと知ると、いきなり「ドラゴンクエストの最新作どうでしたか」とか「ARMSはキャラ差大きくて弱いキャラだと勝てなさすぎですよね」などと言ってくる奴がいるんです。プレイしてねーよ。私がやるゲームはマイナーなものばかりで悪かったな。好きなものをハマりこんでプレイするのが好きなんですよ、私は。野球だって、好きなのは巨人ですか、阪神ですかって訊いてくる。もちろん巨人も阪神も好きだけど、本当に愛しているのは頑張ってもダメなプレイをしてしまうパ・リーグのネタ選手ですよ。別に「お前らとは違う」と上から目線で言いたいんじゃなくて、好きなものを好きなようにやるのは私の自由だろ、と言いたいんです。ゲームぐらい自分の好きなのをやらせろよ。野球チームだって選手だって、人によって好みが違って当然だろ。多様性って、誰に何と言われようと好きなものは好きで、それに土足で他人に上がられないという前提があってのことですよ。
もっとこう、そっとしておいてくれないかな
思うに、結婚生活であれ仕事づきあいであれ、お互いの生活や大事なものに対して干渉しない、強制しないことって物凄く大事なことだと思うのです。自分の好きにできる時間ぐらい好きに使っていいだろという前提で、同じオタクでもアイドルものが好きなのもいれば、ボーイズラブで腐ってるのもいれば、格闘ゲーム極めてるのもいる、各々の「好き」を尊重していけば良いと思うわけなんですよ。ところが、実際にはメジャータイトルや王道コンテンツを話題の対象としている人たちが、細かな棲み分けをして生息している少数民族を無邪気に蹂躙しようとするんです。そんな誰も好きな奴がいないような衰退ジャンルにいないでこっち来いよ、と悪気なく言ってくるんですよね。
仕事ならば、どうしても知っておかなければならないことは山ほど出てきて、日々研鑽もするし、人の話も聞きに行きます。逆に知らなかったことが分かるようになる喜びは、仕事ならずともたくさんあるのが社会です。でも、個人的に好きでやることに土足で踏み込むことの是非っていう点では、結構みんな容赦ないんですよね。
もっとこう、そっとしておいてくれないかな。趣味の話はだいたい同好の士と楽しくやってるからさ。他に話すべきことがあるだろ、ほら、野外イベントでの雨具の選び方とかさ。