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日本の移民政策は成功するのか

 本書では、日本が少子高齢化に陥った理由のいくつかとして外国人差別、女性差別、ロスジェネ放置などを挙げている。日本では、外国人が日本国籍を取ることへのハードルは非常に高い。また、女性は教育を受け仕事を持つことができるが、同時に家事のほとんどを担い、キャリアを犠牲にして子育てをすべきという風潮がある。バブル経済崩壊のあおりを受けたロスジェネ世代は非正規が多く、生活に精一杯で、第三次ベビーブームを起こせなかった。

 本書の著者たちは、日本の少子高齢化の対応策として、女性の活躍、シニアの活躍、AIの活用、若者への教育なども検討したうえで、最後の切り札は、移民政策しかない、と結論づけている。

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 たとえばカナダは、高度なスキルを持った移民を受け入れ、活躍できる職場環境を整え、教育機会も提供することで、経済成長にも寄与してもらうという巧みな戦略を取り、少子高齢化を防ぐことに成功している、と紹介する。日本もカナダを見習えば、“モザイク型移民国家”として繁栄できるという提言だ。ただしカナダではダイバーシティが実現され、高度なスキルを持った移民が快適に過ごせている。果たして日本にその土壌があるのかどうかといえば、私はやや悲観的な見方をしている。

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 日本には、ハンガリーのような特異性、すなわち血統主義が存在する。多くの人々が自分たちが人種的に同一性であり、その同一性には価値があり、守るべきものだ、と思い込んでいる。島国独特の歴史的背景ゆえの、海の外から来る者への拒絶感、アレルギーとも無縁ではない。これらを克服できない限り、なかなか厳しいかも知れない、というのが私の実感だ。

 本書は、日本が移民政策を受け入れない場合は、小国として生きていくしかないと指摘する。すなわち「労働時間が増え、収入は減る」「政府は残された財源を、老人の健康や医療ニーズに重点的に振り向ける」「小中学校や大学は閉鎖される」「無人となった地方インフラは荒廃するに任せる」というシナリオだ。そうなりたくなければ、日本は移民政策を実施するしかない、という。

 この点は、私とはやや見解が異なる。私は、日本は人口規模でこそ現在よりも小さくならざるを得ないが、「戦略的に縮小」することに成功したならば“キラリと輝く国”として世界に存在感を発揮し続けられる、という立場だ。

“課題先進国”と言われる日本の体験が役立つときがいつか来る

 そもそも日本は、移民を受け入れるタイミングを既に逸したのではないか、とも認識している。経済成長の目覚ましい近隣アジア諸国の方々にとって、少子高齢化で経済や社会が停滞し、ダイバーシティの観点からも遅れている日本は、移民先として魅力的な国と言えるのだろうか。

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 移民による人口縮小への対応というのは、地方創生の名のもと自治体同士が住民を奪い合っている姿を想起させる。今後は、地球規模で同じようなことが起きるだろうが、そこに勝者はいない。世界の総人口のパイが縮まるなか各国が移民を取り合うことが、はたして究極の解決策といえるだろうか。同書の著者たちと是非、ディスカッションしてみたい。

 いずれにせよ、同書が地球規模での少子化の動きを明らかにした功績は大きい。人類はこれまで人口増加がもたらす課題の解決に頭を悩ませてきたが、そう遠くない時代に地球規模で人口が減り始めることに伴う課題に追われることとなる。そうした意味では、いつの日にか、“課題先進国”と言われる日本の体験が役立つときが来る。

「エンプティー・プラネット」が子孫にとっても暮らしやすい“故郷”で在り続けるために、われわれができることとは何なのか。当面の人口激増期と、それに続く人口減少期の双方を睨みながらの難しい対応が求められるが、それを考えることこそが、今をすでに「大人」として生きている世代のミッションである。多くの人がこの議論の輪に参加したならば、きっと有用な方策が見つかることだろう。

2050年 世界人口大減少

ダリル・ブリッカー,倉田幸信(翻訳)

文藝春秋

2020年2月24日 発売