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悲しみを通じてしか開かない扉。宮澤賢治の悲しみのうた

 人生には悲しみを通じてしか開かない扉がある。悲しむ者は、新しい生の幕開けに立ち会っているのかもしれない。単に、悲しみを忌むものとしてしか見ない者は、それを背負って歩く者に勇者の魂が宿っていることにも気がつくまい。「小岩井農場」と題する詩で宮澤賢治(1896ー1933)は、悲しみにふれ、こう書いている。

 もうけつしてさびしくはない

 なんべんさびしくないと云つたとこで

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 またさびしくなるのはきまつてゐる

 けれどもここはこれでいいのだ

 すべてさびしさと悲傷とを焚いて

 ひとは透明な軌道をすすむ

 この詩を賢治は、妹トシが亡くなる半年ほど前に書いている。賢治は妹を愛した。彼女の死は、賢治に半身が奪われたような苦しみを強いた。

©沖潤子/文藝春秋

病の床にいる妹、彼女の死が頭を強くよぎる。

 詩を書いたとき、妹は病の床にいた。彼女の死が頭を強くよぎる。淋しくないと強がってみたところでまた、淋しさが襲ってくるに決まっている。しかし、それでも構わない。闇に覆われ、光を見失うこともあるかもしれない。それでも自分は独り、定められた道を「すべてさびしさと悲傷とを焚いて」進むというのである。

「透明な軌道」という表現は、人生の道は目に見えず、それぞれの人にとって固有のものであることを示している。

 同じ悲しみなど存在しない。そういうところに立ってみなければ、悲しみの実相にはふれ得まい。同じものがないから二つの悲しみは響き合い、共振するのではないか。独り悲しむとき人は、時空を超えて広く、深く、他者とつながる。そうした悲しみの秘義ともいうべき出来事を賢治は、生き、詩に刻んだ。