新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、北海道の鈴木直道知事は2月28日、「緊急事態宣言」を発表した。鈴木氏はその2日前にも、国に先駆けて道内の小中学校の休校を要請。会見において「結果責任は知事が負います」と発言したことにも注目が集まった。
全国で唯一の“30代知事”でもある鈴木氏は、一体キャリアを歩んできた人物なのか。ノンフィクション作家・広野真嗣氏が気鋭の政治家に迫った「文藝春秋」1月号の特選記事を公開します。(初公開:2019年12月30日)
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7年前の12月、石原慎太郎の後任の東京都知事を選ぶ選挙の最終日、群衆で埋め尽くされた新宿・アルタ前広場に停められた選挙カーの屋根の上で、猪瀬直樹候補の応援弁士に立ったその男は、半ば絶叫するような声になった。
「皆さんから税金をいただいて飯食ってるんですから、私たち公務員が都民のために働くのは当然ですよ。でも東京都の職員はそれだけじゃだめなんだ」
全国最低賃金の首長として夕張市へ
声の主は、北海道・夕張市長になって2年目を迎えていた鈴木直道(当時31)だ。全国どの市町村の首長よりも給料の低い、さらに言えば前職の都職員より年収で200万円も少なくなるのを承知で、夕張市長の職に身を投じた。その実績が評価され今春、北海道知事に選ばれた人物である。
アルタ前の演説はこう続いていた。
「首都のために100パーセント働くだけではなくて、首都を支えている多くの全国の地域のために、皆さんの故郷のためにもう20パーセント、合計120パーセント働いて、やっと都民のみなさんから合格がいただけるんだ、それが首都公務員なんだ。前例がなくても、ほかのところが一切やっていなくても東京都というのはこれをひっぱって、国を動かして、日本を牽引する」
演説の内容というよりも、挑発的なその弁舌が私の印象に残った。都庁職員時代、副知事の猪瀬から「役人的なしゃべり方では伝わらないぞ」と叱られていた都庁職員の頃の鈴木とは、全く別人のように見えたのだ。
破綻した自治体から叩き上げる
鈴木は埼玉県生まれ。両親が離婚したため母子家庭で育てられた鈴木は、高校卒業後の1999年に東京都庁に入庁。地方公務員を選んだのは、恵まれない人々にとって行政サービスがいかに重要かを肌身で知っていたからだ。
社会人になってから夜間に大学にも通ったが、大きな転機になったのは08年1月、猪瀬の発案で財政破綻した夕張市に派遣する応援職員の1人に選ばれたことだった。約2年間の派遣期間中の鈴木の行動力に心服した地元の若手経済人たちから推され出馬した11年4月の夕張市長選を制し、市長になった。
給与7割カット、手取り20万円を切る待遇を覚悟で市民に飛び込んだだけではない。当時の問題意識は「政治力も弱い小さな町に過大な問題が置かれている」ということだった。
当時の財政再生計画は「行政サービスは全国最低レベル、住民負担は全国最高レベル」に設定され、東京23区よりも広い面積に点在していた7つの小学校、4つの中学校はそれぞれ1つに統廃合され、住民税負担は増えた。これも“自己責任の結果”と見られていた。