寮で一人、涙した。千葉ロッテマリーンズの寮長・田村次夫氏(58)は2月11日に死去した野村克也氏の追悼テレビ番組を見ながら泣いた。思い出が多すぎた。マリーンズに入団するまでの88年から95年にスワローズでトレーナーを務めていた。野村克也監督の下で92年、93年、95年と優勝を経験した。
「悲報はニュースを見ていた親戚が教えてくれた。元気な印象があったのでビックリした。選手には厳しい人だったけど、自分たち裏方には凄い優しい人だったという思い出がある。いつも裏方の盾になってくれた」
「準備準備また準備。確認確認また確認」
ロッテ浦和寮で27人の寮生の面倒を見ている田村氏は懐かしそうに当時を振り返る。忘れられない思い出がある。当時、30代だった田村氏を野村監督は選手の前では「田村先生」と呼んでくれていた。プロ野球のトレーナーになってまだ数年しか実績はなかった。偉大な名将から人前で先生と呼ばれるのはなにか違和感を覚え、「監督、先生は勘弁してください」とお願いをすると首を横に振られた。
「選手たちに田村の立場をしっかりと分からせる必要があるんだよ」
それが理由だった。人には立場がある。田村氏にはチームのトレーナーという立場があった。だから人前でどのように話すかをしっかりと考えて状況に応じた対応に徹してくれていた。トレーナーとしての実績がなくてもみんなの前では「先生」と敬意を示してくれた。
ただ、二人きりの時は「オイ、田村」と声をかけられた。遠征先でナイターが終わった後の夜遅くに部屋に呼ばれることもあった。「腰が痛いんだ」と言われ、腰を揉んだ。治療をしながら色々な話をした。面白かった。叩き込まれた教えがある。
「準備準備また準備。確認確認また確認。口酸っぱく言われた。これは野球だけではなくて世の中に通じること。この年になって、野村監督の言ってくれたことが良く分かる。トレーナーの世界でもそうだけど、目配り、気配りは大事。いつだってつねにアンテナを張り巡らさないと、いい仕事は出来ない」