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「共依存」の問題

 精神医学には「共依存」という言葉があります。もとはアルコール依存症の事例に見出された家族関係を指していますが、現在はもう少し広い意味で使われています。アルコール依存症患者の家族、とりわけ奥さんは、夫の飲酒癖や飲酒時の暴力に、さんざん悩まされています。しかし、そういう関係が長年続いていくうちに、困らされているにもかかわらず、夫から離れることができなくなってしまいます。つまりこの奥さんは、自分の存在価値を「アル中の夫の面倒をみる妻」という役割に見出すようになってしまうのです。こうして夫は世話役である妻に依存し、同時に妻は、表向きは困りながらも、「ダメな夫の世話役」という自己イメージにおぼれていきます。こういう関係を「共依存」と呼ぶのです。ここには「持ちつ持たれつ」といった、安定した相互性はありません。相手を支配し、自分の満足のための道具として利用するという関係であり、それゆえ一方的で不安定なものとなります。

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 ここで「アル中」を「ひきこもり」におきかえてみましょう。「ひきこもり」事例の母子関係にも、しばしば「共依存」がみられます。したがって親子関係が膠着状態にあると感じられた場合、このような視点から関係を見直してみることも大切です。そこにはたして、「共依存」関係が存在するかどうかを検討してみること。そして、もし存在するなら、母親がそれなしでもやっていけるかどうか、自身に問うてみること。そのような視点に立つだけでも、いびつな関係性を改善する方向がみえてきます。

ついいいなりになってしまう母親も……

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 母親と「共依存」の関係にある事例は、ほぼ100%、他人の関わりを嫌い、拒否します。その拒否があまりにも激しいので、ついいいなりになってしまう母親も少なくありません。しかし、ここで妥協すべきではありません。親が治療相談に通う意味は、まさにこの点にあります。密室の親子関係に、さしあたり治療者が、社会の代表として楔を打ち込むこと。もちろん最初、本人はひどく嫌がります。自分のことを無関係な他人に話されるのが嫌なのは当然です。時には親が病院に行こうとすると、暴れはじめる事例もあります。しかし、私が関わったケースに関しては、親が毅然として対応すれば、こうした抵抗はそれほど長続きしません。むしろ親が病院に通いはじめてかえって安心したかにみえる事例が多いくらいです。私はそれが、密室の扉が開かれ、親と自分との関係が、はっきり見えてきたことによるのではないかと考えています。