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母と子の密室的な愛情関係

 精神分析によれば、「愛」とはそもそも自己愛に由来するものです。人は、自分を愛する以上に、他人を愛することができない。いやできる、と主張する人は、自覚のないナルシシストである。精神分析は、そう教えます。家族に対する愛でも同じことです。むしろ自己愛との区別がいっそうつきにくいという点で、家族愛こそは要注意なのです。それはしばしば相手を所有し、コントロールしたいという欲望につながり、ときには激しい攻撃性の原因にもなります。後にふれる家庭内暴力もまた、「愛」ゆえの産物です。激しい暴力の後で、必死に謝り、思いやりをみせようとする子どもと、そんなわが子を抱きしめ続ける母親。そこにあるのは、距離とコントロールを失った「愛」の、無惨な姿ではないでしょうか。「愛」は、まさに「盲目」であるがゆえに、治療を困難なものとします。そこでは「愛」は「一方的な奉仕」と容易に取り違えられます。極端な例では、治療者の言葉にすら耳を貸さず、むしろ親子の愛を妨害する邪魔者として、治療者のほうが切り捨てられてしまうことすらあります。このような母と子の密室的な愛情関係は、事態をいっそうこじらせ、不安定なものにしてしまいます。このような結びつきは「共生関係」と呼ばれます。親はそれこそ、強い愛情によって、必死に本人の心を鎮めようとします。しかしそのように力めば力むほど、本人の要求や状態に振り回されてしまい、くたくたになってしまうのです。

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母親の献身が逆効果になることも

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 もちろんひきこもっている本人もまた、自分を愛し、必要としてくれる存在を強く求めています。しかし同時に、自分はいつ見捨てられてもおかしくない人間という認識も捨てられずにいます。母親が尽くせば尽くすほど、自分が母親なしではやっていけない、弱い存在であることを思い知らされます。もし母親から見捨てられたら、自分はどうなってしまうかわからない。20代、30代の「少年少女」たちがそのように語るのを、私は何度となく聞いてきました。母親の捨て身の献身は、案に相違して、彼らのこうした恐怖を救うどころか、いっそう強めてしまうのです。