私がカルト宗教をやめられた理由
ここまで一時期のめり込みながら、私は現在カルト宗教から足を洗っています。
大学3年の頃の話です。当時、私は数々の神秘体験を経た後であったにも関わらず、カルト宗教の教えを疑うようになってきました。
すべての人を幸せに出来るという話だったのに、カルト宗教が目指す真の家庭を作ることが出来ない人、即ち同性愛者やトランスジェンダー、アセクシュアル(*)、そしてカルト宗教の教える生き方を実践出来ない人たちは、悪魔の文化によって堕落していて幸せになれないとカルト宗教では教えていたからです。
*他者に対して性的欲求を持たない人のこと
『ミッドサマー』について、「ホルガ村はアセクシュアルにとって生きづらい場所だ」というつぶやきをTwitterで拝見したのですが、これは非常に重要な指摘だと思います。ホルガ村やカルト宗教のような共同体は、結局のところ、多様性を否定し少数派を切り捨てるかりそめの理想社会に過ぎないのです。
私はシスヘテロ(*)の男性でカルト宗教の教えに沿わない人間ではなかったのですが、何かがおかしいんじゃないかと漠然と感じていました。そこで私は漠然とした疑問を決定的にするものに出会いました。
「百合」です。
*性自認と生まれ持った性が一致する「シスジェンダー」、性的指向が異性に向く「ヘテロセクシャル」であること
こんなに素晴らしいものを否定する教義はおかしい
皆さんは「百合」をご存知でしょうか。百合の定義は未だに公には定まっていませんが、概ね「女同士の強い感情、関係性、または、それらが描写された作品」を指す言葉です。私は何となく見つけた百合作品たちに感動しました。そこで、こんなに素晴らしいものを悪魔の文化だとか堕落しているだとか言うカルト宗教自体がおかしいんじゃないかと確信めいたものを得たのです。
結局、私はずるずると大学卒業まで信者寮にいました。しかし、社会人になると同時にカルト宗教から距離を置くようになり、作中のペレのようにカルト宗教に戻ることは二度とありませんでした。
それ以来、私は神のいない世界で生きています。そこでは全ての人が幸せになる見込みもなく、真の理想世界もきっと実現しないことでしょう。でも、神に存在を許されていない人間が一人もいないだけで私には十分です。
あと、私は今、百合を読んだり、百合を書いていたりします。百合は強い。最強だ。
だから、ラストシーンを迎えたダニーにこう言いたいと思います。
ダニー。
百合はいいぞ。