さて、『ミッドサマー』の描写に話を戻しましょう。ダニーは村人と共に傍目から見ても楽しそうにダンスをします。そして、その中でダニーは幾重もの光景が重なった黄色の強い光を見た直後に、ホルガ村の女性とスウェーデン語で会話が出来るようになるという不思議な体験をしています。そして、メイクイーンに選ばれたダニーは、自分を置いていった家族の姿を森の中に、或いは村人の中に見出すのです。
ダニーがメイクイーンに選ばれるこの癒しすら感じられるシーンこそが、ダニーが晴れてホルガ村の住人として生まれ変わるおぞましい瞬間ではなかったかと私は思いました。
カルト宗教あるある3:個の喪失
第三に、祝祭の終幕にクリスチャンが生贄として燃やされるのをダニーが見つめるラストシーンです。断末魔の叫びをあげる生贄に共感し、村人たちが一斉に叫び、のたうち回ります。
そこには、優しくダニーに寄り添うペレも、村人を主導し外から来た者たちにも礼儀を払うシフも、ダニーたちに『オースティン・パワーズ』を見ないかと誘った女性も、ダニーと楽しくダンスを踊った女性もいません。彼ら彼女らは、人としての個を喪失し、ホルガ村という怪物の一部になったのです。
そこでも私はやはりカルト宗教時代のことを思い出しました。
私は研修会を経てすっかりカルト宗教の信者になり、更に教えへの理解を深める為という名目で、ボランティア活動の先輩たちとともに、大学生の信者寮に住むことになりました。
入寮した夜、入寮者全員で祈祷をしました。必死に神や教祖に感謝や誓いを立てる為に叫び、身振り手振りで訴える先輩たちの姿は自分が信用した先輩たちではありませんでした。彼らは人としての個を喪失した、カルト宗教という怪物の一部でした。
しかし、ラストシーンを迎えたダニーのように、当時の私は既に後戻りすることは出来ませんでした。逃げられないからでも、追いかけられるからでもありません。先輩たちの姿に違和感を感じなくなっていたからです。
ダニーと私は同じでした。既に自分自身も怪物の一部になってしまっていたのです。