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ノンフィクション作家・星野博美が、100円ショップで感じた「後ろめたさ」

2020/03/19
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活気のある町工場は、遠い過去の記憶

 一人プラスチック容器をしみじみ見つめるそんな父を、私は羨ましいと思う時がある。傍から見たら、道を歩きながら、クッキーを食べながら、電車に乗りながら、目に入る物すべての金型を想像しているただのへんなおじさんだろう。しかし父は金型というドアから、社会の仕組みを見ている。金型から生まれた物すべてに愛着を持っている。そんな揺るぎないドアを持っていることが、私には羨ましい。

 円高が進んで日本の人件費はあっという間に高騰し、工場の多くは労働力の安い海外へ移転、日本の製造業の屋台骨を支えていた町工場は壊滅的な打撃を受けた。世事にうとい割には決断が早く、20年近くも前から人員整理をしていた父は、バブル崩壊後の不景気をほとんど無傷で乗り切った。しかし父の周辺では、大型機械を無理して買い、企業に勤めていた息子を辞めさせてまで後を継がせた途端に仕事がなくなったとか、無理な投資で首が回らなくなって倒産したとか、誰が夜逃げをしたとか、そんな話をいくらでも聞く。幼い頃に私が体験した、父ちゃん母ちゃんじいちゃんばあちゃん、そして若者たちが入り乱れて汗をたらして働き、そこらへんを走り回るガキを怒鳴りちらす、そんな活気のある町工場は、もう日本では遠い過去の記憶になりつつある。

 大量生産、価格破壊、合理化、リストラ、コスト削減、大資本による吸収合併、資本の寡占……

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 そういった言葉に私が本能的に抵抗を感じるのは、単純に個人的理由によっている。

©iStock.com

 よりよいものをより安く、より早く消費者の皆様のお手元へ──

 社会がそういう方向を目指せば、誰が泣くのかが本能的にわかっているから、その矢印を簡単に容認することができない。

 もちろん私も大量生産と無縁で生きていくことはできないが、工場の記憶だけは忘れたくないのである。

作った人たちの悲鳴が聞こえてくるようだ

 その健康青竹がどこで作られたのかはわからない。最終製品が100円で売られているからには、日本よりはるかに人件費の安い他国の工場で作られたものだろう。それがどこで作られたにせよ、そこには設計から金型作り、プラスチックを流し込む作業があり、検品、配送、納品、仕入れ、販売と、様々な人間が関わっていて、その一人一人に家族があったりなかったりする。その値段が、最終的に100円なのである。

 店の棚に並ぶ何千、何万という、100円ごときで買える取るに足らない商品から、それを作った人たちの悲鳴が聞こえてくるようだ。

 100円の健康青竹を踏むことは、幼い頃の自分自身の記憶を踏みにじることだった。

 青竹を踏み飽きた家族は、テレビを見始めていた。

 その間、父だけが一度も青竹を踏まなかった。

◆◆◆

星野博美(ほしの・ひろみ)
1966年、東京都生まれ。ノンフィクション作家、写真家。2001年、『転がる香港に苔は生えない』で第32回大宅壮一ノンフィクション賞受賞、12年、『コンニャク屋漂流記』で第63回読売文学賞「随筆・紀行賞」受賞。著書に『謝々!チャイニーズ』『銭湯の女神』『のりたまと煙突』『迷子の自由』『愚か者、中国をゆく』『島へ免許を取りに行く』『みんな彗星を見ていた』『戸越銀座でつかまえて』『今日はヒョウ柄を着る日』、写真集に『華南体感』『ホンコンフラワー』がある。

謝々! チャイニーズ (文春文庫)

星野 博美

文藝春秋

2007年10月10日 発売

銭湯の女神 (文春文庫)

星野 博美

文藝春秋

2003年12月10日 発売

のりたまと煙突 (文春文庫)

星野 博美

文藝春秋

2009年5月8日 発売

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